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修理代一千万円 [日記、雑感]

 この記事は10月31日に書きかけたものに加筆した。 

風邪がなかなか治らない上に連日の夜間作業あり,だめ押しついでに無視できない売り掛けの長期案件が続き,ここ一週間くらいの間俺の心象風景は大変良くない。
 
 昨日夕方から今日にかけて,俺は中学の同級生と色々,お互いの近況について全体にダークな会話の時間を持った。
 どうも最近,世の中全般にお金がらみのトラブルが増えているらしい。特に俺が棲息しているような最底辺層は人心の荒み方が加速しているような印象を受ける。
 何事によらず,人間貧しくなってくると浅ましくなったり愚かになったりするもののように日頃俺は考えている。一つ一つ例を挙げていくと気が滅入ってきそうなのでここでは書かない。

 不気味なことに,個人的にも公的にも身辺の不条理や人心の荒み方が段々劣化の度合いを深めていくことにまわりの誰も不安や怒りを表さないように見える。

 同級生とのやり取りでは金払いの悪い得意先を何とかとっちめて回収を済ませられないものかという話題が熱を帯びた。
 資金繰りが大変で全額支払が厳しいので今月は半金で勘弁してくれ,というのはまだ信用して良いとして、仕事の催促だけは一丁前にする癖にいざ支払の段になるとびた一文の支払もしないままいつまで経ってもノラリクラリしてすっとぼけ続ける野郎というのは本当に頭に来るもので、いっそのこと懲役上等で世のため人のためにこういう社会の黴菌みたいなクズ野郎はぶっ殺してしまった方が良いのではないかと思え,頭に来て夜眠れなくなるという点で彼とは一致した。

 このブログにはそういう類いの輩との顛末が記事としてあり,経験談のようなことをその同級生に話すと彼は「俺も同じようにしてやってやる!」と意気込んで帰っていった。

 実は今,俺には一件長期の売り掛けがあり,この人物を痺れさせてやろうかと俺は毎日イライラした日々を送っている。過去,自分で書いた記事を読み直してみてまだ記述が不十分だったな,とかこれがわかっていながらどうして俺は何度もけしからん輩に引っかかるのか,とか考えながら同級生が来訪した日の俺はムカムカしながら寝た。

記事名:支払を拒む奴の挙動を分析
URL:http://tuttle.blog.so-net.ne.jp/2012-09-14

 その翌日,彼は少々興奮気味に俺の家に現れた。
彼も俺と同様血圧の高い一夜を過ごしていたらしい。明け方近くにようやく眠りについた彼の夢に俺が現れたという。
 彼が語るところによると夢の中での俺は何かの修繕を済ませた後に一千万円なりの修理代を請求し,逆上した彼は俺を滅茶苦茶に叩きのめしたのだそうだ。
 俺のような稼業で一千万円の修理などあるわけはない。あったら俺は毎年税務署対策で頭痛につきまとわれること必死だが幸か不幸かそいうことは俺の人生にはない。

 支払を誤魔化す輩同様,修理代を吹っかける奴も大問題だが、夢の中とは言ってもどうしてそういう類いの登場人物が俺なのか。

 後日談として,彼は相手方に内容証明郵便の送付を告知してネジを巻き,即日入金を勝ち取ったのだそうで俺は昼飯をおごってもらった。他人事ながら俺は単純に嬉しいと思う。
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迷惑千万なiPhoneの設定 [日記、雑感]

 ここ数ヶ月,俺の携帯電話であるiPhone 5cにはおかしな現象が起きていて商売上深刻な問題をもたらしている。
  
 俺宛に電話をすると何かしら俺が通話できない状態にある旨のアナウンスがあってすぐに切れてしまうのだと相手方は言い、それも一人や二人ではない。
 続けて2回ダイアルすると普通に繋がったという話を俺は複数の方々から伺った。

 俺は貧乏だが毎月の電話料金くらいは普通に遅滞なく支払っている。
それがこんなことではまるで俺の商売が左前で,この稼業を畳んでしまったのではないかとか,悪いことをやって警察にパクられたのではないかだとか,或いは健康を害してどこかの病院にでも入院中なのではないかだとか,他にも色々悪い連想が働くだろうことは想像に難くない,とにかくイメージダウンは避けられない。これは商売上,まさに死活問題で,事実,こういう不調が原因と思われるのだが俺はこの問題が顕在化してから得意先から袋叩き状態にある。俺に愛想を尽かして離れていった得意先も一件や二件ではないだろう。全くもって心外というか,迷惑千万な話だ。
review-the-iphone-5c.jpg

 今から考えると8年前に俺には色々,ついていない出来事が重なって俺の商売はピンチに陥ったことがある。
 何とか廃業だの自己破産だのは免れて現在に至ってはいるが,物事には何かしらの周期があるらしく,今回の携帯電話に限らず最近の俺の身辺には縁起でもない出来事が増えつつあるのだが、この携帯電話の不調は本当に問題で,こんな状態が続いていたのでは俺は全ての得意先を失ってしまいかねない。
 
 俺とてこの問題を漫然とやり過ごしていたわけではなく,これまで一年近く携帯電話のキャリアに相談して色々試みてはみた。
 やれSIMカードを差し直せだの一端電源を切ってリセットしてみろだの言われたことを一通りやってはみたがどれもうまくいかない。
 そんな試行錯誤を続けている間にも得意先や知人からの苦情は絶えず,正直なところ俺はAppleという会社にただ事でない怒りを覚えるようになった。

 たまたま今日,少し時間が空いたのでネットで「AU」、「iPhone」,「着信の不調」というキーワードで検索を書けてみたら出てくる出てくる。
 原因は幾つかあるが,思いあたるフシがあったのはお休みモードという設定項目がアクティブになってはいないかというもので、これは就寝中などに電話の着信で起こされないように一回目の着信は拒否する機能なのだそうだ。
 確かに,二回かけると普通に繋がる旨のことを複数の人から指摘されたことがあるので自分の携帯電話の設定画面を見てみると確かにその項目がアクティブになっている。
 自分でこの項目を設定した覚えはないのだが、たしかOSのバージョンアップ後からこの不具合が出てきたような気がするからこれは初期設定としてそうなっているのかもしれない。

 この設定変更で問題が解決可能なのかどうかは今後の電話の働き方次第なわけだがしかし,重ねて言うが迷惑な話だ。
 ここから先は俺の商売にも関係する話になるが,俺はどうもコンピューターの制御とかディジタルエレクトロニクスとかいったものに全幅の信頼を置けないでいる。
 これらの勉強を俺は若い頃学校で多少はしたので,同年代の同業者よりは幾らか明るいのではないかと思ってはいるのだが,なまじ勉強しただけに余計信頼し切れない。
 こういうテクノロジーというのはコストダウンのためのものであって信頼度はむしろ損なわれていく。ソフトウェアなどという実体のないものが絡むと余計不安定になるものだと日頃俺は考えていて,ことある度に自分の得意先に言って聞かせるが全く受け入れられない。コンピューター仕掛けやエレクトロニクスが無条件で完全無欠に有り難いものだと思い込むのは世の中に蔓延る大きな誤解だと思う。

 効果の如何はさておき,こうしてネットの検索で解決法を探し出してみてあらためて思うが,修理のありようもいつの間にか大分変わってきた。
 原理を学び,物理量を測り,そこから良否の判定を行って所見と対応策を出すという手法はこういったコンピューター仕掛けの機器類には通じないことをここしばらくの俺は実感している。
 妙なインテリジェンスを持つ(一見そう見える)機器類はネットを始めとして手探りの結果が集積されたもののうちから使えそうなものを拾い出して一つずつ当てはめていくようなやり方しかなさそうだ。結果としてそれは(因果関係はわからないが総とっかえみたいなことをしたら直ったんだからそれでいいじゃん)という曖昧さを修理屋も使用者も受容せざるを得ない時代になってきたということなのかもしれない。
タグ:iPhone au
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睫毛がなくなる時 [日記、雑感]

 俺の仕事っぷりなどというのはもう,年がら年中ヘマの連続でしかない。仕事をしくじるばかりでなく肉体的に痛い目にも遭う。
 そういえば丁度一年前には作業場のシャッターに頭をぶつけて俺はブッチャーになった。
2014年12月2日,きっかり一年前ではないか。

関連記事名:視界にアークが飛ぶ時
URL:http://tuttle.blog.so-net.ne.jp/2014-12-02

その時の画像
IMG_0097.1.jpg


 去年は頭頂部で今年は顔面と来た。
本日俺は仕事中に顔面を火傷したのだ。今でもやけに顔面がヒリヒリする。
経緯はこうだ。

 俺は仕事が押し気味で,夕方某病院でガス式の回転釜をいじっていた。本来その病院では炊飯器の修理が用件のはずだったのだが追加で急遽,問題の回転釜の不調を伝えられた。その後別の病院でのライスボイラーの修繕が控えていたので気が急いており、少しばかり浮き足立っていたのは間違いない。

 問題のブツは服部工業製のガス回転釜で,俺が勤め人だった頃に納めたものだ。
当時服部のラインナップ中では最も上のグレードで,オールステンレスで三重バーナーの集中化力制御(三ついっぺんに火力の強弱が可能),メインバーナーへの着火は点火棒ではなく,イグニッション点火式のパイロットバーナー付きというものだ。

 不具合の内容というのはパイロットバーナーへのイグニッション着火が良くないというもので、目視しながら触ってみるとスパークロッドの取付けビスが緩んでおり,放電ギャップ長が不安定なためだと容易に所見が確定した。

 事故には大抵,そこに至る必然的な要因が幾つも重なり合っているものだと今回痛い目にあって俺はつくづく思う。そして事故を引き起こす決定的な要因は本人の不注意だとも思う。
 先に書いたようにその次の修理先のことが気にかかっていたことの他にも,事後になってみると色々思いあたることはあるのだ。
 *ここしばらくややこしい工程の修繕が続いており,燃焼器具を扱うことに緊張感が欠けていた。
 *風邪が抜け切っておらずに普段以上に鼻が効かない。
他にも色々あるのだろうがとにかく油断が最大の原因だろう。パイロット管を取り外して緩んだビスを締めておしまい,10分かそこらでケリがつくだろう,ちょろいもんだ,そんな油断が最大の落とし穴だ。 

 俺は不注意でガス配管接続の元バルブを閉めずに作業していた。
接続箇所からの配管はヘッダーを介してパイロットバーナーのガスコックとメインバーナー3個分のガスコックに分岐される。 
 そして俺は作業中に何かの弾みでメインバーナーのガスコックに身体のどこかを当てたことで未燃焼のガスがノズルから出続けることになった。風邪が抜け切っていない俺はガスの臭いが気づかないでいた。
 そして不具合箇所の補修が終わって配管を取付け直し,着火試験のためにイグニッションのスイッチを入れてアークが飛んだその瞬間,滞留していたプロパンガスが一気に引火した。
ぼん

 と,爆発音がして視界が全てオレンジ色一色に塗りつぶされたようになり,顔面が引き攣れたようになって焦げ臭い臭いが鼻を突き,俺はむせ返りながら『これを忘れていたのか!俺は間抜けだ』と慌てて器具接続のガスコックを閉じた。
 
 ガスの火は消えたが俺の周辺には煙が立ちこめていた。被っていたキャップや俺の髪の毛が燃えたからだ。
 俺は辺りを見回して人気がないことを確かめてからトイレに向かい鏡に映る自分の顔を覗き込んだ。顔が全体に赤いのは軽度とは言っても顔面を火傷したことを示しており、上唇には火ぶくれが出来て薄い皮みたいなものがめくれ上がっていた。
 頭に手をやると燃えた髪の毛が粉末状にぱらぱらと落ちた。ヒリヒリする顔面を手で撫でるとこれまた燃えたヒゲや眉毛がぱらぱらと落ちた。瞼が引き攣るような違和感があって目の周辺を触ると上下の睫毛が焦げてくっついているせいらしく,瞼全体に何か違和感があって目の中がゴロゴロする。きっと焼けて粉末状になった睫毛が目の中に入ってしまったのだろう。

 バカなことをやらかしたもんだ,と顔を洗いながら自分がイヤになった。
幾つになってもこういう間抜けなことをやらかす。こういうトンマな性癖はきっと一生治らず,いつかどこかでまた痛い目に遭うのだろう。もしかしたらそれは命に関わるような出来事かもしれない。

 その病院を出て次の仕事先で顔が剣山でこすられているように痛いのを我慢しつつ何とか片付け,帰宅してから風呂に入り,ゴロゴロする目が気になって目薬を注してみると猛烈に染みるような刺激があり痛かった。

 時間を置きながら目薬を注しを繰り返しながらこの記事を書いてもいるわけで,視覚に異常はなさそうだがしかし何度やっても痛い。痛いながらもこれを繰り返していればそのうち治っていくのではないかと根拠もない思い込みに凝り固まりながら目薬を注し続けることにする。明日は眼科にかかってみることにする。
 あらためて鏡を覗き込んでみると俺の睫毛はあらかた燃えてなくなっている。
睫毛の役割とは目玉に異物が入り込むのをガードしているのだと子供の頃にどこかで教わった気がするがこんな風にしてそれを実感するとは思わなかった。そんな場面はないにこしたことはないのだが。
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『西洋料理六十年』を読む [日記、雑感]

 この記事は11月の始め頃,風邪をひいて寝込んでる最中に寝床に潜りながら書いた。

 歳のせいか一回風邪をひくとなかなか治るには時間がかかり,仕事の内容も押さえ気味になる。
寝床に潜り込んでじっとしていても退屈なので,腰を据えて本でも読もうかと以前から気になっていた田中徳三郎氏の自伝を古書で探し出して取り寄せた。


西洋料理六十年 (1975年)

西洋料理六十年 (1975年)

  • 作者: 田中 徳三郎
  • 出版社/メーカー: 柴田書店
  • 発売日: 1975
  • メディア: -



 俺が勤め人だった頃,会社にはコーポレートシェフという役職の方がおり,クッキングデモ(機材を使っての講習会の講師)やルセットの作成をお仕事にするわけだが,俺が良くして頂いたある方は東京會舘出身で,ここで取り上げる田中徳三郎氏のもとで長く働き,丸の内のパレスホテル開業に際して田中氏に付き従う形で移動し,後にパレスホテル大宮の料理長としてその経歴を締めくくった。

 在社中,そのコーポレートシェフから断片的に伺っていたことを近年,体系的に自分の中で構成してみたい気になっていたわけだがネット上の情報は何とも断片的であり、散漫で、調理師の間での神格化されたといってもいいくらいの評価と一般人への知名度に於いてこれくらい激しいギャップのある方もいないのではないか。
 その功績を上げるときりがないが,強いて幾つか取り上げればある意味,フランス料理を西洋料理のカテゴリーから独立させた立役者であり、テレビ電波に登場し,レギュラー出演するようになった最初の料理人といったような、「●●を●●した初の日本人」という肩書きをごっそり持つ方が田中徳三郎氏なのだそうだ。

 本書については自伝と書いたが,必ずしも時系列的に整理された読み物にはなっていない。書き下ろされた回顧録としての箇所とリアルタイムで書かれた紀行文のような箇所,雑誌や社内報などに寄稿された短いテキストが混在しており,正直なところ一冊の本としては寄せ集めのような印象がないでもない。
 しかし何と言っても著者が著者であるだけに内容は深く重い。「日本の西洋料理の歴史」のインサイドストーリーみたいな出来事が何気なくさらっと一行で書かれていたりする。

 本書を読んでわかったことだが,料理人列伝みたいな記事で取り上げられる内海藤太郎氏に関する記述は殆ど全て本書からのコピペである。

 俺にとっては肩すかしというか物足りないというか,そういう点がなくもなく、それは渡仏留学していた約2年間オーギュスト・エスコフィエの元で師事していた時期の記述が大変少ないことなのだが,恐らく知識や技術の習得に没頭していて日記を付ける暇さえなかったということではなかろうかと想像している。

 読後あらためて思うのは,超一流のプロフェッショナルになる過程でその人は必ず偉大な指標となる親方に巡り会って散々しごかれる時間を経験するものだという人生の鉄則とも言えそうなことで、分野を問わず共通しているのではないだろうか。
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苛立つ修理屋には迂闊に話しかけるな [日記、雑感]

 22日木曜日は昼から午後にかけて某養護施設でコメットカトウのスチームコンベクションの修理を行った。
 他にも似たような造りのメーカーは沢山あるが,この会社の製品もビスの数が無用に多い。しかも組みつけの精度は良くなく,締め付けトルクの管理はあまりされていない。だめ押しついでに本当ならばボルトで固定されているべきところにビスが使われており,しかもそれは明らかにオーバートルクで締め付けられて頭がなめている上にものの見事に錆びている。クリアランスは不足していて通常使う100mmシャンクのドライバーが立たない。

 障害の起きていると思われる給水タンクはしょうもないビス一本を残して取り外せない。何を持ち出しても固着したビスは頑として回らず,タンクは脱着できない状態が続き,作業は頓挫するのである。たったビス一本のためにだ。
 この施設に入っている給食委託会社の連中は陰険な上に知能程度に問題のありそうな奴らが多く以前から俺とは反りが合わない。
 この日も例に漏れず、固着したビスに手こずりあれこれとアプローチを思案している最中に脇から「原因は何なんですか?」だとか「あとどれくらいで終わるんですか?」とかグダグダと腹立たしい茶々を入れてきやがるので俺は苛立が高まった。

 タンクはM4のビス4本で固定されており、そのうちの3本までは何とか外して残り一本という場面で上に書いたようなバカどもが俺の仕事に無神経な横車を押してくるので俺にはスイッチが入った。
 俺はタンクを鷲掴みにするとクソ調理員どもを無視してガリゴリガリガリと揺さぶったり捻ったり固定箇諸近辺をハンマーでガンガン叩きまくったりタンクに思い切り蹴りを食らわしたりした。
 調理員のバカババアからは俺が荒ぶって機械をぶっ壊しているように見えたのではなかろうか。オーブンは施設の固定資産であって給食委託会社の所有物ではないのだから連中に文句を言われる筋合いもない、直ればいいのだ、文句あるかと言わんばかりに俺が煩わしい馬鹿どもを睨みつけると糞婆は視線を逸らして休憩室に逃げていった。

 果たして問題のタンクは俺の努力の甲斐あって段々固着箇所が緩み、固定部は歪んだものの上手い具合に外れて来たので俺はその後流れるようにタンクとボールタップの分解を続けてその現場を納めた。

 ここからは上に書いたような出来事と関係なさそうで実はある事を書きたい。
 目下俺は風邪を引いて寝込んでいる。この記事も寝床で亀のように腹這いになりながら書いている。
寝床に潜ってできる事には制約があるのでネットの動画をあれこれ見ているうちに下のような動画に行き当たった。
 これまでこのブログでも何度か取り上げた事のあるネット配信者のウナちゃんマンこと佐野智則氏の10月22日の出来事である。奇しくも俺の荒ぶる修理と同日だ。

 動画はダイジェスト版だが経緯をかいつまんでおくと、配信上で口論となった相手を佐野氏は散々挑発し、憤激した凸者がバール片手に襲撃をかけて来た。ところで佐野氏の住まいはセキュリティ対策の整ったオートロック完備の賃貸マンションで、当日佐野氏は籠城作戦を決め込んだ、という構図だ。が佐野氏の事前の思惑を越えて凸者の行動は激しく,外部の者をガラスで仕切るエントランスを破壊して佐野氏の住居にまで突進し,バールで玄関ドアを滅茶苦茶に叩き壊して対面を迫るに及んだ。

動画のURL:https://youtu.be/G0LgQ4MysC4

 後日談としては、今回の出来事は相当応えたらしく、佐野氏は雑談配信から脚を洗う事にしたらしい。因果応報というか自業自得というか,程度を弁えずに配信上の受け狙いで相手構わずに粋がっているととんでもない目に遭う格好のサンプルではある。
 別の見方をすると,懲役上等でカチ込みをかけてくる人というのはかくも相手を畏怖させるものだ,とも言える。
 閉所に立て篭ったところに凶器を持った凸者が襲いかかり,ドアをぶっ壊すというのは本当に物凄い恐怖を与えるもので、この映画にはそこを実にリアルに描いた場面がある。

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  • 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
  • メディア: Blu-ray



 実は俺にはこれに似た体験がある。
学生の頃,俺は寮で生活しており,酒に呑まれて正体を失った上級生共が群集心理で下級生相手に乱暴狼藉を働く場面を何度も経験し、勿論謂れもなくどつかれたり殴られたりしたものだ。
 寝床に潜り込んで深夜,ふと目が覚めると廊下の遠くからざわざわした気配が段々近づいてくる。頭の芯がぴーんと張りつめて身体が強張る。どたどたと足音が響き,部屋のドアがいきなりバーンと開けられて部屋の照明を点けられ、「てめえら!起きろ!」と先輩の怒声が響く。恐かったぜ。

 通称,『部屋まわり』と呼ばれたこの有り難くないイベントには寮で代々引き継がれたセオリーがあり,それは絶対部屋には施錠しておくな,というものだった。
 ドアはロックしていた方が安全かと普通は考えるが多くの場合逆だ。
 後年俺が逆の立場になってから理解できたが,クソ生意気な下級生にヤキを入れようとしてそいつの部屋に行き,ドアがロックされていると凸者の心理は憤激がエスカレートするものなのだ。ドアがすんなり開けば口頭の説教くらいで済むものが実力行為に及ぶ可能性が跳ね上がる。ロックされたドアは対話を拒む頑さの現れであり,ドアを蹴り破って暴徒が殺到したときにそれはそれは凄惨な展開となる。

 これは決してこじつけでなく,作業中の錆びたり舐めたりしたビスやボルトはこういう,挑発的な人物が煽るだけ煽って部屋のドアをロックしている状況に共通するように思える。何事によらず,独りよがりな頑さは相手の怒りを引き出すものだ。
 違いとしては,動画にあるような乱暴狼藉は傍目から見て明らかに殺気立っているのがわかるが,取れないビスに手を焼いている修理屋の苛立は一見してもそれとはわかりにくい点だろうか。修理屋各個人によって傾向は違うだろうが俺の場合は冒頭書いたような無神経な茶茶入れをされるのが嫌いだ。そういう馬鹿な調理員のいる施設では修理代の精算に手心は加えないことにしている。
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ディスポーザブルな社会 [日記、雑感]

 先週は某コンビニチェーンでの修繕を一件行った。
オートリフト式の電気フライヤーの昇降機能が働かないというのが依頼内容だ。
この手の修理依頼は店舗からメーカーの出先に直接来ない。製造元かコンビニチェーンの内部に日本国中の店舗からのオンコールを取りまとめて受け付けるコールセンターがあり,そこからメーカーの出先機関に指示書が流れ,修理屋が店舗に訪問して始末し、帰社してから報告書をコールセンター送信する。

 分業制のある意味完成形というか,俺がしばしば言うところのワークマンworkmanで全ての役割が回っているシステムだ。

 製造元から修理依頼のあったそこは今年の6月頃に一度修理に行ったことのある店舗だった。その時にもオートリフトの昨日が不調でリフトユニットというアセンブリーパーツを取り替えたのだったがその店舗にはフライヤーが2台あるので今回はもう一方の個体なのだろうと俺は予想した。
 このアセンブリーパーツは現地で分解せずに交換後は工場に返送する。工場でリビルドされたものが補修用ストックとして倉庫に保管される。
 そのコンビニは24時間365日営業しているので現場で問題のリフトユニットを分解してどうのこうのをやっていたのでは店舗業務に迷惑がかかるので上に書いたような流れで修繕は進行する。修理屋が現場での滞在時間が最短になるような仕組みが出来ているわけだ。
 交換するのはリフトユニットの他にDCレギュレーターで,出力電圧の確認などは行わない。これはリフトユニットと同梱された状態で補修用パーツとしてあり,昇降機能の不具合があって修理訪問する時には問答無用でこの二点を交換する。

 交換の作業はドライバー一本,時間にして30分かそこらでケリがつく。本当にワークマンの仕事だ。

 通常,熱源に関係なくフライヤーの修理というものは油槽の油を抜き,機体が充分冷めていて安全が確保できた状態で行うのが常だから場合によっては当日作業は出来ずに後日というケースがよくあるがコンビニというところではこの流儀が全く通用しない。
 今まで行ったことのある店舗は必ず電源が入りっ放しでチンチンに加熱されているし,油槽はおろか油受けの缶にまで油が入っているのでとてもじゃないが修理など出来る状況にないのだ。
 こんな状態で修理をやらされて火傷でもしたらどう責任を取ってくれるのかとネジを巻いたことがあったがこういう時にコンビニの店長というのは決まって能面のように表情が消えて黙りこくる。こいつら自体がワークマンで何の裁量もない上に自分の頭でものを考える能力のないバカだというのが俺の経験則だが,現場や業種が異なるとは言え,今年の夏にはサービスマンの感電死亡事故まで出しておきながらこの業界にはいつまで経っても作業員の安全確保という発想が出てこない。業界全体がこんな体質だから社会の掃き溜めみたいな人材の集積所になってきつつあるのだろう。

 現場につくと店長は6月とは別の人物だった。年齢で言うと40かそこらくらいで,ワイシャツにネクタイ姿で下はジーンズだ。どこかの職場をクビになってこの仕事に流れ着き、インスタントな研修を受けただけの類いの,40にもなって何から何まで付け焼き刃の男らしいことは身なりや言動から容易に想像がついた。
 バックヤードに回って問題のフライヤーを見ると先に書いたような状態で普通の厨房屋の感覚ではとてもじゃないが手を出したくはないのだが,嫌味で油缶の中身を始末して空にしてくれないと油槽の油が抜けずに修理できないと伝えるとインスタント店長は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてそうなんですかと抜かした。
 こういう時には何というか,こういう低能野郎の手首を引っ掴んで煮えたぎった油の中に突っ込んでやりたい衝動が湧いてくる。

 何事によらず昨今はそういう傾向が強いが,とりわけコンビニというところに就労している人種というのは毎日毎日永遠に通常の業務が普通に繰り返されていくものだとでも考えているらしい。設備障害という非日常の出来事に対応する発想力は全くない。そういう能力を持った人に俺はこれまで一人も会ったことがない。漏電や過負荷でトリップしたブレーカーの復帰のさせ方もわからない程度のボンクラ共が食品に限らず全ての店舗機器のシステムを操っているのだからこんな危なっかしい話はない。

 それで二台あるフライヤーのうちのどちらが故障しているのかを見ると,俺が6月にリフトユニットを交換した方の個体だった。
 俺は修理屋の習性で,以前の修理で何かまずいことをしでかしたかとまずは自分を疑ったがどう考えても思い当たるフシがない。元々出来の悪いフライヤーなのだからと割り切ってクソ熱い油槽を取出す段取りにかかった。

 変に思うのは,コールセンターからも新米店長からも6月に修理したものがたった3ヶ月でまた同じように壊れるのはおかしいではないかという疑義が出てこないことだ。ましてや修理に現れたのは前回と同じくこの俺なのにあんたが何か不手際をしでかしたのではないのかと問いただされることもない。とにかく動くようにしてくれとしか言わない。

 作業そのものについては格別ここで書くようなことはない。ドライバー一本,30分で片付くワークマンの仕事だ。3ヶ月前と同じ内容の報告書を書き,店舗のスタンプを貰い,元の職場に届ける。そして月末には規定の金額が記載された注文書が俺のところに届く,無機的というか味気ないというか,そういう仕事だ。考察もなければ検証もない。とにかく時間通りに訪問して動かせばいいだけの仕事だ。

 時代の風潮としてよく、「今だけ,金だけ,自分だけ」と言われることが多い。いつの間にかそういう物差しが世の中には蔓延していることには正直なところ,暗い気分になる。
 俺はもういい歳なので,自分がオールドタイマーになりつつあることは自覚しているつもりだが,時流から取り残されていく感覚というのはやはり淋しいものだ。
 検討を重ね,充分な予算取りをして万難を排して設備導入し,長期の安定稼働を図るために使用者を固定して充分なトレーニングを施し,スキルの高い保全従事者を配置するような現場は激減しつつある。
 コンビニで言えば,全店採用の大量購入をちらつかせればメーカーや商社はどんな無理筋でも言いなりになるし,店舗の従業員ごときはそれこそ幾らでも補充が利く。店舗機器の製造元にしても抱えておくサービスマンは特段スキルの高い技術者である必要はなく,ねじ回ししかしないパーツ交換作業員のワークマンで良いのだから社員の採用人事に頭を悩ます必要もないだろう。吐き気のしそうな整合性だがそれが現状だ。

 しかしそんな虫のいい仕組みはいつかどこかで破綻するだろうし,その時には深刻な状況が現出するのではないのか,その時,誰がどうやってその状況を解決するのか。コンビニチェーンやその周辺の業者はそんなことなとハナクソほども考えていないに違いない。困っているんだ,大変なんだと喚き散らしさえすればすぐに誰かが参上して自分たちにとって最高に都合のいいやり方で解決してくれるに決まっていると信じ込んでいるに違いない。
 
 東日本大震災から4年以上が過ぎたが、殆どの人にとってそれは他人事であって危機管理とか予防保全とかについてまじめに何かを考えている人は俺の周りにはいない。いずれその報いが,いつか,どこかで現れるだろう。俺はそんな場面には関わりたくないのだが。
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以前の同僚と歳月を噛み締める [日記、雑感]

 近日中に屋外冷凍機を交換する工事があり、現場での荷受けや既存期待の撤去にユニックが必要になり、それは得意先が手配する手はずだったのだがトラックの持ち主にご不幸があり、工事に関われなくなったため急遽俺が探しまわる事になった。

 いつもながらついていない話だ。
トラックの借り出しや当日のユニックのオペレーターの銭をどうやって捻り出すか、全く頭が痛いわい。ここしばらく携わる仕事には必ずと言っていいほど何かしら切羽詰まった用件がつきまとう。

 悩ましい気分で思案を巡らせているうちに俺はある人物の事を思い出した。
彼は俺の最初の職場で俺と同期入社した同い年の同僚で、俺はサービス、彼は営業で同じ営業所に配属され新入り同士一緒に組んで仕事に携わっていた事がある。住まいは会社で借り上げたアパートで同居しており、その生活は大体一年くらいだっただろうか。

 俺は入社後4年くらいでその職場を退職し、それから一年くらい遅れて彼も退職し、故郷の実家に戻り、家業である製材販売の仕事を継いだ。
 偶然、俺と彼は隣町に住む者同士で、お互い退社後、断続的に顔を合わせて飯を食ったり他にも色々関係は続いたがここ数年は疎遠な状態が続いていた。

 仕事の合間を縫って俺の仕事のサポートをしてもらう事もあり、クレーンのついた4トントラックを所有していたので納品現場で随分助けてもらった事を思い出したのだ。数年ぶりにバイトというか小遣い稼ぎの相談でも持ちかけてみようかと俺は途中で缶コーヒーを買い込み、なんだか懐かしい気分で車を転がした。

 最後に彼の職場である製材工場を訪ねたのは4年くらい前だったと思う。元々大して大きな町でもない俺の生息地だし、記憶力は人並み程度に働くはずの俺なのだがどういう訳か何度も訪ねた製材工場の所在がはっきりしない。見慣れた土場があったはずの場所は違う風景になっている。
 違う風景、というのはそこに別の新しい建物があるのではなく、あったはずのものが中途半端になくなっているという見え方で、俺は何だか腑に落ちない気分で車を降り、辺りを見回した。
 するとその場所、以前は製材工場があった土地の奥には車庫のような小屋があり、そこに腰掛けている人物と目が合った。
 その男は俺に向かって手を振って来た。ここ数年視力が衰えて来た俺が近寄り、目を凝らしてみるとそれは以前の同僚である彼で、4年ぶりの再会と相成った。

 仕事場の変わりように俺が戸惑っていると、以前の土場は漏電火災によって焼失してしまったのだと彼は話し始めた。およそ3年前の事らしい。
 3年経っても焼失した作業場は再建される事がなく、製材の業務は現在行っておらず測量用の杭などを細々と作り続けているらしい。何度もご厄介になったクレーン付きの4トン車が見当たらない。俺はそこに何か、詮索すべきでない経緯がある事を読み取った。

 それから俺たちは雑然とした車庫で椅子に腰を下ろし、しばらく近年の色々な事を話した。
4年前にここを訪ねた時、それは俺が色々な要因があって自分の商売が左前になりかかり、あわや廃業とか自己破産とかいう局面をどうにか切り抜けた直後での事だった。その後1年くらいの間に今度は彼の身辺に色々と痛々しい出来事が続き、周りの状況は冷え込み、陰惨さを増していったようだ。俺はそれをここで仔細に書く事はしない。
 
 話題が俺たちの以前の職場の現状に及んだ時、彼はああいうやり方が結局正しかったのだな、と述懐した。辞めないで居続けた方が良かったんじゃないか、と冗談混じりに笑った。
 それはどうかと俺は切り返した。今でこそ盤石の地盤でスマートに組織立ったペンギンマークだが、俺たちがぺーぺーの新入社員だった頃などは絵に描いたようなブラック企業で、まるで新興宗教か軍隊みたいなその社風はとてもじゃないがまともな感覚の持ち主が長く勤まりそうなものではなかったはずだ。現に、俺たちが相次いで退社した頃に在籍していた社員で今でも勤まっている人などどれだけ残っているか。
 会社がのし上がる過程で無慈悲に使い潰されていく無数の人柱があったのは間違いなく、俺や彼は確かにそこに該当していたのだ。時間の経過が怨嗟を薄めた、そういう事ではないのか。

 彼はその業界から離れ、俺は転職を繰り返して留まり続ける違いはあるにしても、かつて俺たちの職場であったあのペンギンマークは今や押しも押されもしない業界内でのエクセレントカンパニーである事は間違いない。その認識は一致点であり、俺たちはどちらからともなく複雑さを込めたため息をついて少しの間黙り込んだ。

 柵から飛び出し、痛い目に合い続けて多くのものを失い、しかしそれでもこれから先の時間は続いていく。あとどれくらい続いていくのかはわからないが。

 しかし、多少気障な言い方をさせてもらうならば、明けない夜はないのだと思いたい。
俺が窮地に陥ったときに差し伸べられた救いの手は確かにあり、そのおかげで今はどうにか一抹の光明が見えつつある時間がいずれ彼にも訪れるはずだと俺は思いたい。

 何か手助けになれそうな事があれば言ってくれと俺は暇を告げた。
少しの間感慨に耽り、本筋の用件を思い出して俺は慌ててあちこちの心当たりに電話をかけまくり、工事の段取りを再開する。
 
 何だかほろ苦い味のする道草だが、たまにはこれくらいいいではないか。徒手空拳で日々を過ごす野良犬同士、いずれどこかでゆっくり飯でも食いながら一年寝食を共にしていた頃の思いで話にでも浸ってみようか。
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局所的に時間差大雨の不条理 [日記、雑感]

 今日、日曜日も俺はお仕事だ。
本当であれば釣りの大会にエントリーしてバーベキューでもやりながら参加者同士、釣果についてああだこうだと歓談しているはずのところがこんなことになってしまったのはあれこれ経緯があってのことだ。

9月18日の金曜日から話を始める。
夕方から降雨が激しくなってきたこの日は早朝から結構立て込んでいたので早めに切り上げておこうと思っていたのだがこういうときに限ってどん詰まりになってからバタバタと依頼が立て込んでくるもんだ。
 その中の一軒には某デリバリーピザの店舗からトッピングテーブル(コールドテーブル)が冷えないというのがあった。
 俺が勤め人だった頃、20年近く前に施行した現場で、特注品のトッピングテーブルは問題が多く、その後俺はあれこれと改造を繰り返して今に至っている。午後9時頃にならないとその日抱え込んでいた修理が片付かない見通しで、訪問してみると膨張弁の高圧配管接続口からの冷媒リークが認められた。

 ガス漏れは止めたが冷凍機はアウトドアユニットであり、降雨下での冷媒チャージは避けたいところだが店舗の従業員は何が何でも今冷えるようにしてくれ、商材がダメになったらどうしてくれるんだだとかと分けのわからん我を張る。こういう、自分の都合しか考えていないバカは俺を大いに怒らせる。
 それじゃああんたの無理強いに従って雨天下の作業で俺の商売道具が壊れたら弁償してくれるのかと投げかけるとへらへら笑いながら黙りこんだ。

 ほんとに根性のない奴だ。

 立場を笠に着て他人にごり押しするんだったら何が跳ね返ってくるのか自分もそれなりの覚悟くらい決めてからものを言えよバカ野郎が。
 あんたは所詮給料取りの雇われ人で、俺の商売道具がいかれた時の弁済を請け合うだけの裁量はない程度の野郎なのだな、俺は修理が終わったらあんたに無理強いされた作業で商売道具が使い物にならなくなったから弁償してもらうと一筆加えて請求書を書きたいから名前を教えろと迫ると「それは会社に言ってください」とか言いおいて奥に引っ込み、どっかに電話をかけ始めた。
 
 俺はこのバカを絞め殺してやりたい気分で後からどんな障害が出ても知らんからなと伝え、雨の降る屋外に出て冷凍機をいじり始めた。
 それで冷媒を入れ、冷凍機の電源を入れてみたのだがうんともすんとも言わない。マグネットスイッチのプランジャーを押し込んでみるとコンプレッサーが動くには動く。雨降りの中でこんな事をしなければならんのかと思うとあらためて頭に来た。
 何らかの理由で保護停止がかかっているわけだ。雨天下の深夜で作業としては最低の条件な上に俺は朝から働き通しだったりその前のバカタレとのやり取りなどで気が立っている。
 冷静さを取り戻すよう自分に言い聞かせながらライトで冷凍機の外装版に貼付けてある回路図を照らしてみると、紙が風化してしまっていてまるっきり判読できない。
 金曜日の午後10時過ぎとなるとメーカーに問い合わせて資料を取り寄せるなどできっこないから今日はもうダメだと俺は伝えた。
 大体,深夜,降雨の中で電気配線の断線補修など命知らずもいいところで,7月の末には元の勤務先で社員の感電による死亡事故さえ起きているのだ。商売道具どころの話ではない。俺が死んだらあんたらどう責任取るんだと詰め寄ったところで客はようやく引いて、翌日に持ち越しとなった。得意先を出ると既に日付が変わりそうな時刻で,俺はグダグダになって眠ることを決め込んだ。

 翌日9月19日は朝から雨がやまず,一日中降り続ける模様というのが天気予報の示すところだった。
製造元の三菱電機は当然休業日で,読めない配線図はネットからダウンロードできたので件のピザ屋に出向いたが雨の勢いが一向に衰えないので残念ながら当日の屋外作業はNGで翌日に持ち越しとなった。当たり前の話だ。
 「持ち越しとなった」と文字で書けばそれ迄の話だが,翌日20日の日曜日には釣りの大会があり,俺はそれにエントリーしていたので俺は泣く泣く断りの電話を入れて参加費だけを納めた。
 俺のように老人の少し手前くらいの年齢になると夜なべ仕事は本当に翌日に堪える。家でウダウダしていると近所の親戚から電話が来てまた野暮用で駆り出されて深夜に迄及んだ。結局全然休めないわけだ。

 それで本日雨上がりの晴天となり、満を持して俺はそのデリバリーピザ屋さんに出向いた。勘所のコンプレッサーが生きてさえいれば何とでもなるわい、と俺は結構ボルテージが上がっていたのだ。
 店長殿は俺が私用を断って日曜日出向いてきたことに恐縮そうだった。さすがに一昨日の腐れバイトよりはバランスの取れた人格だわな。
 メーカーが休みだろうが部品がなかろうがコンプレッサーが生きていて配線図さえあれば俺が何とかしてやろうじゃねえか,と俺は豪快に大風呂敷を拡げて勇躍,室外冷凍機の配線補修に取りかかった、がしかし、だ。

 冷凍機のケーシングをはずして中の配線を調べていると何だか頭にぽたぽたと水滴が落ちてくる。雨上がりの晴天のはずなのにどうしたことかと軒先を見上げると水滴の落下が勢いを増して雨のようにバシャバシャと降ってきた。
 配線に水がかかると後々厄介なので慌ててケーシングをかぶせて屋根を見ると,どうも局所的に屋根から雨水が落ちて来るようだ。
 その場を離れて空を見上げるとやはり天気は良い。
 軒先からの雨だれが収まりかかったので作業を再開すると幾らも経たないうちにまたボタボタと水が落ちてきて俺の頭はすぐにグチョグチョに濡れた。
 慌ててその場を離れると雨だれが収まり,作業を再開させてエンジンがかかり始めると大雨みたいに軒先からジャンジャン雨水が降ってくる。
 しかも腹立たしいことに,俺が作業しているスペース,幅にして1メートルと少しの範囲でこの現象が起きているようなのだ。
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 軒先の庇を見上げると、この現象はごく限られた場所でだけ起こるもののようで,雨だれの跡がついている。
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 しかも俺が20年近く前に据え付けた冷凍機がこのむかっ腹の立つ現象のスイートスポットにあるようだ。
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 説明するとこうだ、この建物はもともと食料品店だったのだが店舗の屋根は水平な造作で,普請が古いので屋根が凹んでいる。
 そこで雨が降ると屋根のあちこちに水たまりが出来るのだが,その後風が吹くと溜まった水が庇の一番たわんだところに向かって押し流され、その直下に俺の取付けた冷凍機がある。だから今日のような大雨の後の晴天時にはトッピングテーブル用冷凍機の幅の分と少々の範囲だけが雨降りのような状況になる。

 冷凍機に取っ付いてあれこれ配線を調べ始め,本調子になりかかったところで上からドバーッと水が流れてくる,慌てて離れて収まる迄待ち,また取っ付いては軒先から垂れて来る水を頭から被るの繰り返しで仕事がさっぱり捗らない。まるで屋根の上にプールでもあるんじゃないのかと思えるくらい際限なく雨水が降ってくる。
 傍から見ているとかなり間抜けというか質の悪いドタバタギャグみたいな情景だろうが、自分がその当事者となると笑い事ではない,というか何とも説明しようもなく無性に頭に来るのだ。

 断線補修というのは元々,時間の読めない作業だが,最後は頭に来て作業を強行して続行し,ケリがついた時には午後1時半頃になっていた。滞在時間は3時間以上でこんな目に遭わなければ半分以下で済んだはずだ。あんまり頭に来ていたので昼飯を食うのも後回しになっていたことに終わってから気づいた。
 考えてみると頭のてっぺんから爪先まで水浸しになりながらよく感電しなかったもんだと妙に感心したが,帰宅する途中で寄ったコンビニで濡れ鼠の俺は結構客や店員には奇異に見えたようで何だか視線が痛かったぜ。

 いやしかし,考える程についていないというか頭に来る。本当に頭に来る。
20年近く前にその雨だれの起きる範囲から外れたところに冷凍機を据え付けておけば良かったではないかという諸兄のご指摘は当然あると思うが,周辺をどう見てもその場所にしか設置できそうな場所はなかったのである。

 俺は自分の人生にはツキがないことを色々な機会に思い知らされるのだが,こんな風に20年も経ってから口を開けて待ち受けている落とし穴もあるのだから人生わからんものだ。
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ざまあみやがれ! [日記、雑感]

 毎日毎日胸くその悪くなるような出来事ばっかりだがたまには嬉しいニュースもある。

記事名:ワタミ、身売り話も飛び出した三重苦の実態
http://toyokeizai.net/articles/-/83206

 本来、業績悪化だの閉店だのには同情の気持ちが大なり小なり起こるものだが、この件については全くそうならない。ワタミなんかとっとと潰れてしまえ!赤飯炊いて祝ってやるぜ!
 大体、国会議員から村会議員に至るまで、飲食業に携わりながら政治の世界に乗り出してくる奴にはろくな奴が居ない。俺の知る限り一人の例外もない。

 渡邊美樹その人について俺が今更言うべきことはない。今から8年くらい前になるのだったか、何とか教育審議会とかいう政府絡みの諮問機関のメンツの中に確かこの男は入っていた。当時俺はどうして居酒屋チェーンの社長がそんなところに居るのかを妙に思ったものだが同時に、直感したのは、この男はきっと本来的にキチガイみたいに上昇志向が強く、居酒屋チェーンの経営者であることは成り上がり者にとっては過程のうちの一つに過ぎないのだろうな、そしてこの男はいったい何を目指しているのだろうか、どうせきっとロクでもない者になりたいのだろう、という胡散臭さだ。何と言ったって今をときめくこの男の取り巻きだからな。
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 誰かの周辺に集まる者には必ずどこかしらその人物と共通する属性がある。これは俺なりの経験則であり鉄則だと思っている。
 案の定、居酒屋チェーンの経営者はやれ農場だ、やれ介護ビジネスだ、やれ国会議員だとやたらめったら害毒を拡散し続けて挙げ句の果てには学校経営にまで首を突っ込んできた。
 安月給で若い者を過労死するまでこき使い、荒稼ぎしたタネ銭で国会議員にまでなっていい気になって夢だの何だのをほざくこんな野郎の教育論など噴飯ものに決まってる。
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 物心がついて以来俺はいつも、どこにいても風変わりなことを言うマイノリティとして退けられたり無視されたりを続けてきたように覚えている。
 だから俺はこういう、上からおっ被さるようにして力づくで無理矢理全員を束ねて言いなりにさせようとする奴らが本能的に大嫌いだ。他人を家畜みたいに扱って何が何でも自分の号令通りに動かそうとする一方的な奴らが嫌いだ。たとえ百回生まれ変わってもこんな奴の経営する学校の生徒になどなりたくはない。

 しかしまあ近年、「偽善者」という言葉がこれくらい似つかわしい輩もそう沢山いないのではないだろうか。
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何が、(ありがとうを集める)だ!

 良くもまあこんな白々しい台詞を恥ずかしげもなくひけらかせるもんだと白けるばかりだが、これは感情論ではなく、現実問題としてこの男が世界中のありがとうを集めれば集めるほど被害や迷惑を被る人々をワンサカ生み出す。俺は自分の体験としてそれを実感しているからこういうことを断言できるのだ。

 俺はワタミグループなどというのは年商があって従業員の頭数がそれなりに多いということ以外は本当にお粗末なストラクチャーで、しょうもないハリボテみたいなものでしかないとこれまでずっと考えてきた。
 安売り濫売で同業者を干上がらせることで業績を拡大していく、その安売りを可能ならしめているのは従業員を安い給料で死ぬほどこき使うとか出入り業者や協力会社を値切りまくり、何でもかんでも面倒臭いことは外部に押し付けて経費を切り詰めることでなされているに過ぎず、そんなのは組織体として決して強くはないし、一流とは言えないと俺は考えている。
 渡邊美樹のような男が優れた企業経営者としてもてはやされるような風潮を俺はこれまでずっと苦々しく思ってきたがなんだかすっきりするニュースだ。
 ただ、最初に居酒屋を開業するタネ銭を稼ぐためにこの男は佐川急便のセールスドライバーとしてキチガイみたいに働いて一年間で三百万円貯めたという、その事実については俺は無条件にこの男を尊敬している。見習うつもりはないけどなw

俺は呑気に生きたいのだよw

 外食産業としてのワタミがどうしようもないと俺が実感した出来事についてはそのうち記事にしたい。
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HOBART FTNのポンプ交換 [日記、雑感]

 ブログを休んでいた間の出来事というか、手がけた修理のことを記録しておく。

 某総合病院で稼働中の食器洗浄機は以前このブログで取り上げたことのあるホバートの製品(ドイツ)で、納入業者は北沢産業,稼働歴は8年目になる。
 以前にも修理がらみでゴタゴタに巻き込まれたことのある因縁つきの個体だ。

関連記事URL:http://tuttle.blog.so-net.ne.jp/2013-02-16

 以前の修理依頼では第二タンクのポンプが断線し,これは納入業者の北沢産業が交換したのだが今回は第一タンクのポンプがいかれた。
 どういう理由で俺のところの修理依頼する気になったのかはよくわからないが,金になることなら過去の不愉快な経緯を押さえる程度には俺も大人のつもりでいる。

 この個体は導入後6年で第一タンクのポンプが断線し,8年目の今回はベアリングの劣化による騒音発生から始まって運転温度が上がり,モーターコイルが内部ショートした模様である。
 以前のモデルのFTXは過去,幾つかの個体を整備していたがその頃にはなかった事象であるがモデルチェンジに伴って使用するモーターが変わったようにも見えない。

 交換作業を振り返っての雑感みたいなことを書くと,国内メーカーの製品でのポンプ交換に比べると大変楽な作業だった。
 以下,作業時の画像を脈絡なく貼付けてみる。

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 FTNの洗浄ポンプは定格2.2kwとなっているが、国内製品に使われる電機メーカーの汎用モーターに比べると小型であり,モーター部分は1.5kwくらいの外寸だ。とは言えしかるべき重量はあるので一名作業の時にはモーターを支持するための補助材を必要とする。
 今回は筐体を利用して2x4のスタッドを使って支持した。現地法人のサービスマンはパンタグラフジャッキを使うのだそうだ。

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 ポンプの脱着に作業補助の人員を必要としない大きな理由はケーシングがステンレスで出来ているからだ。国内汎用ポンプの鋳物のケーシングに比べると呆気ないくらい軽い。ついでに書くと国内厨房機材のメーカーでこれと同じケーシングを内作出来るメーカーは恐らくないと思う。
 上の画像はケーシングの内部を組み立て終えたところ。インペラーは流用する。画像では見づらいと思うが3mmくらい厚い板を折り曲げて溶接したもので強度は半端ない。溶接などして耐食性に問題はないのかと考えたことがあるがこれまでの経験から言うとFTXのインペラーで溶接箇所がばらけてしまったことはない。

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 新旧ポンプを並べてみたところ。修理代を抑制するために古いケーシングは流用するが取り付け後の試運転では特に水漏れはなく,精度や強度の高さを実感させる。

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 EU圏のメーカーの製品は全般的に日本国内の配電事情とそぐわないところがあり、本国で使用している時の耐久性を保てないことが多いが、勘所というか骨格部分の出来の良さは国内メーカーが恐らく100年かかっても追いつけない。
 ポンプをマウントする際に国内製品の大半はボルト穴がずれていたり取り付け面のフランジから水漏れが起きたりすることが多いがこれは板金の材質が悪かったり加工が悪かったりするせいで、数年稼働した食器洗浄機というのはほぼ例外なくタンクが歪んでいる。
 画像にはタンクの突き合わせ部分をアルゴン溶接した跡が写っているがこういう溶接ができる組立工を抱えているメーカーは国内メーカーには全くと言っていいくらいいない。

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 ポンプをタンクにマウントしたところ。この上からケーシングのフランジがナット締めされることになるが,取り付けはシビアでインペラーとフランジが擦れてロックしやすく,1ミリ以下での微調整を繰り返しながらフランジ位置をずらし、ちょうどいい取付け位置を探す。実のところ一連の作業の中で最も神経を使うのがここで,時には輸入元でさえ嫌気がさしてフランジをサンダーで削るという荒技で決着を付けることがあるという。今回俺もその誘惑に駆られたがどうにか乗り切った。

 作業開始が午後8時半で終了は確か午前1時を過ぎていたと思うが,所要時間の半分近くがこのインペラーとフランジのあたり調整に費やされていたと記憶している。
 最後の最後に落とし穴というのも疲れるもんだぜ。俺もいい歳なんだからもう少し楽に終わらせて欲しい。
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訃報が届く [日記、雑感]

 しばらくぶりの再開をこういう記事で始めるのは気が重いが何か書かずにはいられないのも俺の実相だ。

 その人物と在籍の時期は重なっていないのだが,俺の元の勤務先の社員が昨日の業務中、修理先の現場で感電事故により落命した。

 昨日俺の生息地は絵に描いたような猛暑で,俺は何件か重なった冷凍機の修理がなかなかはかどらずに苛立ちながら汗だくで圧力ゲージを睨みつけている最中,後任の営業所長からの電話でそのことを告げられた。

 日付が変わる少し前迄,営業所長と話し込み,こうして帰宅してからキーボードを叩き始めたが,どうも色々な感情が入り乱れで頭の中がうまく整理できずにいる。
 俺はその人物と昨年の秋,スチームコンベクションオーブンの講習会で一緒になった。俺の隣のテーブルに彼はついていたのだった。
 彼の元の勤務先は大手海外メーカーの現地法人で、俺も随分馴染み深い。
親子程も歳の離れた若いサービスマンだったが快活な男で,転職したての意気込みが良く伝わってきて以前の自分を思い出したりもした。
 講習会の休憩時間中に喫煙所で「この会社は柄は悪いし人使いも荒いから大変だぞう」などと冗談混じりに軽口を俺は叩いたのだが,今となっては笑えない冗談だ。笑えるわけがない。

 事故の詳細はよくわかっておらず,断片的なことしか把握できていないが、食器洗浄機の修理先でのこと,分電盤の扉が充分に開かない中で上体をこじ入れるような姿勢での作業中とのことらしい。
 
 こういう事故,ましてや死亡事故となると労働基準監督署のみならず警察迄もが出動する事態となる。彼の亡骸は明日,司法解剖され週明けの月曜日に俺は後任の所長とともに札幌迄お通夜に出かけることにしている。
後任の営業所長にとってはここに転勤してくる数ヶ月前迄の同僚であった男の訃報なので動揺を隠し切れない。

 それで俺はというと身体は疲れ切っているのに何か,言い表しようのない感覚が煮えたぎっているようで目は冴えている。
(言い表しようのない感覚)には勿論、残念だ、とか、悲しいといった感情が含まれているがそれと同じかそれ以上くらいに疲労感や無力感、怒りや苛立ちがある。

 色々書き始めると長くなり過ぎるのでそれは追々機会を見て俺の考えを表明していくとしてここでは結論とか展望みたいなことを書き留めておこう。

 彼はある意味殺されたのだと俺は確信している。

 そして外食産業とか厨房屋という業界は、こういう犠牲を生み出してさえそこからは何も学ぼうとも顧みようともしないだろう。相変わらず他人任せのご都合主義、その場しのぎのお為ごかしを今まで通り繰り返し、若い修理屋を見識を持った技術者として育成しようとはぜずに何でも言いなりになる奴隷や家畜みたいな便利屋として使い潰し、消費しては捨て去ることをこれから先も繰り返す。俺はこれを断言してもいい。俺の怒りや苛立ちとはその確信の深さ、救いの見えない暗さに根差している。
タグ:感電事故
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ネット接続環境が良くない昨今 [日記、雑感]

 手短にいく。
目下、俺の自宅のコンピューター利用環境は危機的状況にある。
このブログもなかなか接続できずに元々ネットに接続することのないwindowsマシンから無理やり書いているものだ.

 俺のパソコン環境はノートパソコン3台で構成されている。
1台は私用のパソコンで、Core i5のMacbook Proで、これは4年ほど前にデスクトップのiMac G5がおだぶつになったので慌てて買い込んだものだ。これは現在、バッテリーがいかれており、カーネルの暴走が起こったりもして近く入院する予定だ。貧乏自営業としては修理代が頭痛の種である。
2台目が同じくMacbook Core2Duoで、これは仕事用に使っており、ブログ記事もこのパソコンで書くことがほとんどだ。実働期間は7年を超えていて、3年位前にバッテリーが変形し、交換した。そろそろ現在のバッテリーもやばそうだ。
3台目が今、記事を書いているwindowsノートで、IBM lenovo X60という化石のようなパソコンだ。購入したのは1昨年で、モーターコントローラーのパラメーターの読み書きやシーケンサーのラダープログラムのために中古品を1万円くらいで落札した。CPU 1GHz,HDD 10GB,メモリは1GB、OSはXP、今となってはお笑い種のマシンスペックだが上に書いたようなアプリというのは必ずしも最新のOSで動作確認を取っていないことが間々あるので俺にとっては特に不都合はない。

 ネットに繋ぐのはMacが殆どで、これはウィルスの感染に対する警戒感がいまだに抜けきらないからだ。
そのマック2台は現在、上に書いたような状況で俺は金のやりくりに頭を痛めている。
 奇妙なことに、こうしてブログ記事を書こうとすると何故かMacからはこのページにアクセスできすにこうしてWindowsパソコンからは何とか繋がる。ブログ記事を書くのは俺にとっては精神衛生上必要なことなので、結構フラストレーションの溜まる日常を送っているのだ。
 
 仕事用のMacをそろそろ新調しようと考えていた矢先にこういう状況になるのは少々面白くない。
Windowsのパソコンを敬遠がちになる最大の理由は俺の場合、MS-IMEというかな漢字変換機能のクソさ加減にある。MacのことえりもクソだがMSのはもっとクソだ。こうしてキーボードを叩いていてもその艇の宇佐加減にはかなりいらいらする。(あえて変換を修正していない)
 思考を中断されずにすらすらと変換を進めるためには例えばこういうものを買い込まなければならないのだろうか。

ATOK 2015 for Windows [ベーシック] 通常版

ATOK 2015 for Windows [ベーシック] 通常版

  • 出版社/メーカー: ジャストシステム
  • メディア: CD-ROM



とりとめもないことを垂れ流しているが、記事を順調に更新するためにはまだあと少々時間が必要な模様である。以上、近況報告です。

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過ぎたるは及ばざるが如し [日記、雑感]

 この稼業の殆ど唯一の役得は得意先でタダの食事やおまけの一品にありつけることだとこれ迄何度か書いた。
但しそれは今よりずっと食い意地の張っていた若い頃のことであって今となっては有難迷惑なときもある。そんな風にして自分が段々歳をとっていくことを実感するのだろう。

 このブログを初めて間もない頃にも今回書こうとしているのと似たような記事を書いていたことを思い出した。
記事名:有り難いような困ったようなランチの話
記事URL:http://tuttle.blog.so-net.ne.jp/2007-07-22
 今から7年前のことで、このときはおよそ1ポンドのサーロインステーキだった。
当時俺は必死の思いで何とか平らげたのだが、その後の俺の馬力は坂道を転げ落ちるように低下し,今では1ポンドのステーキを残さず食べるのが無理なのは勿論のこと,その半分でも心許ないだろうと思う。

 今日の昼食を俺は得意先であるところの某蕎麦屋さんで摂ることにした。
昨年,仕事仲間である冷凍機屋さんからの紹介で稼働歴20何年かのホシザキの食器洗浄機の修理に来たことのある店だ。
 オーナー殿は俺の顔を憶えているらしく,入店した俺と視線が合うと慌ただしいランチタイムであるにも関わらず手を止め,相好を崩して声をかけてきた。嬉しいような照れ臭いような気分でテーブルについてオーダーを済まして少し経つとかき揚げ丼とたぬき蕎麦のセットメニューが出てきた。
 かき揚げが大変大きいので俺はびっくりしてホール係の顔を覗き込むと「かき揚げは大きくしといたそうです」との返事で,カウンターの奥に視線を移すとオーナー殿が俺の方を見てニヤニヤしている。俺は軽く会釈してからこれから俺が食べようとしているランチの丼に乗っかったかき揚げのでかさにあらためて見入った。

 俺はそのかき揚げの直径と厚みから、日頃食品スーパーのデリカ売り場で買うかき揚げの何倍の体積であるかを暗算していた。
 何しろもう,圧倒的にでかい。文句あるかと言わんばかりにでかい。目視では大体直径200mm,厚みは50mmは下らない。丼から豪快にはみ出したそのかき揚げは見ているだけで腹一杯になりそうにでかかった。俺は必死の思いでその昼食を平らげ,オーナーにお礼を言って会計を済ませて暗い予感を抱えながらその店を出た。

 予想通り,午後からの俺はグダグダ状態で過ごし,仕事は歴然たるペースダウンを迫られた。そのかき揚げの大きさは現在の俺の消化吸収能力を明らかにオーバーしていたので俺の身体は鉛のように重く,鈍くなり,仕事の最中俺は近間の薬局で胃薬を買い込んで仕事に復帰した次第だ。
 恐るべき充実度とサイズのかき揚げはその後,夜迄俺の胃袋に居座り続けた。夕食を摂らずに自宅でゴロゴロしながら俺は今日,自分の脂肪摂取量がどれくらいだったのかを想像しながらこのテキストを書いている。おそらく常識的な値の3倍くらいはいっているのではないだろうか。

 大変有り難いご好意の表れではあるが,今の俺にはそれを受け止められるだけの体力がもうない。ここしばらくこのブログではいつも繰り返す決まり文句をここでもまた繰り返す。俺はもう若くはないのだ。
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若い者との共同作業で己の老いを察する [日記、雑感]

 この記事は先週末21日から22日にかけて書き始めたものに補記した。文字だけで全てを伝えるのは難儀だと今更ながら思うが,まとまった量のテキストを一気に書き上げるのもなかなかエネルギーを要するものであり,その辺の馬力も低下傾向かと自分の衰えを感じ始めてもいる次第。 

 当然の話だが人間段々歳をとっていくもんだ。
同年代の知人達との日頃の雑談中,段々持病のことだとか年金のことが話題に上がることが増えてきた。俺はもう,そういう年齢に達しつつあると言うわけだな。

 今週末は疲れが取れず,身体のあちこちが筋肉痛を起こしてガチガチに硬い。三日経ってもこんな塩梅であるところに俺は確実に自分の馬力の衰えを実感するわけだがこれは19日木曜日の作業のせいだ。
 その日俺は元の職場の若い衆と二人で某リゾート施設に食器洗浄機の修理に入った。2タンクのコンベアー洗浄機で,作業内容は洗浄ポンプの交換で、その重量は30kgは有に超えるだろうというデカブツだ。夕食と朝食の会場であるホールのバックヤードにその食器洗浄機はあり、約500人分の食器を洗う。繁忙期での故障であり、色々な意味で切羽詰まっている。

 ポンプはインテークの鋳物製タンクと吐出側の同じく鋳物製のヘッダーとの3つがボルトで連結されており、合計すると間違いなく60kgを超えるのでとても一人の腕力では脱着などできず、2名作業となった。

 俺の現場ではないので作業中の状況を画像として記録しておく事を今回はしていない。文字だけで詳細を伝えるだけの文才が俺にはないので、実作業のディティールは今回詳述する事はできない。

 結論から言うとこの作業は不調に終わった。若い衆と俺は近日中に修理未完部分の手直しに近々再訪問する事になる。作業時間は実に7時間半に及び,これは事前の作業工程予測が大幅に狂ったことを表している。実際,撤収時刻が午後9時半となり現場の方には大変ご迷惑をかけてしまった。
 事前に予測されていた問題点がそのまま露呈し、作業の長時間化に至ってしまったわけだが列記すると以下のような事になる。
(1)コンベアータイプの食器洗浄機は設置計画時に整備性が決まる。壁沿いに設置する場合は必ず背面に300mm以上のバックスペースを空けないと下部の配管やポンプを弄る時に地獄を見る。
 機種にもよるがほぼ全てのコンベアータイプはポンプ周りを整備する時には正面と背面からの二名作業で行う事を想定している。300mmというのは人の身体の厚みの大体の寸法だ。身体を横にして洗浄機の背面に入り込めるスペースがないと全ての作業は正面から行わなくてはならず、場合によっては手も足も出ない。駆動系の減速機やチェーンも奥まったところに組み付けられている場合がある。
 アンダーカウンタータイプならいざ知らず,コンベアータイプともなれば本体重量は300kgを軽く超え、配管接続を全て切り離して本体をずらすことには全く現実味はない設置計画なり機種選定がその後の整備性を決定づけることになる。どう置いても良い、後はサービスマンが何とかしてくれるだろうとは考えて頂きたくない。

(2)蒸気や排水の鉄管配管,ユニオン接続の分解は潔く諦めて壊せ。
 金属管の配管接続に使われるユニオンという継ぎ手があり、下の画像のような形状をしている。
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 今回作業のケースでいうと,ポンプ周辺の配管接続には呼び径40Aのユニオンが多数使用されていた。組みつけの際には450mmくらいのパイプレンチが必要なごつい継ぎ手だ。
 既にご存知の諸兄は多数おられると思うが,鉄の最も錆びやすい温度帯は60℃近辺であり,食器洗浄機の洗浄タンク排水温度はこれと見事に一致する。しかも洗浄タンクからのオーバーブローには塩分なども含まれているので10年かそこら稼働した個体だと鉄管排水の接続部に使われているユニオンはガチガチに錆ついており,焼こうが叩こうがおよそ人力で分解できるような代物ではなくなっているのだ。
 だから作業内容の中に排水配管(鉄管)の分解が含まれていて事前に作業費の積算を行う時にはそのユニオンを分解して再利用しようなどとは考えるべきでない。潔くグラインダーでぶった切り,新たな継ぎ手を使って組み直すと考えておいた方が無難だ。まるまる一日を費やして一箇所の配管接続を分解するだけの余裕が与えられている現場はまずないし,継ぎ手一個分の仕入れ価格と引き換えに時間を消費して筋肉痛に悩まされるのは現実的でない。
 俺は過去に於いてこの件で随分痛い目に遭ったのでそれを一種,教訓としてその場に臨むことにしている。元の職場の若い衆に事前に忠告してはおいたが現実に自分が痛い目に遭わないと他人のいうことを真剣に聞く気にはなれないもののようだ。これが二度目だが元の職場の若い衆は焦ったり凹んだりしながら現在,学習中である。若い衆よ,大人の言うことは聞いとくもんだぞ。

(3)ポンプをはずす時間と組み付ける時間はイコールではなく、多くは後者に物凄く時間がかかる。
全てのコンベアータイプ洗浄機がそうだとは言わないが,俺の経験上では国内メーカーの製造する食器洗浄機は10年かそこら稼働しているとほぼ間違いなくタンクやフレームが歪んでいる。
 だから一旦,ポンプを取り外してから新しいポンプを取付けようとすると大概ボルト穴が合わず、作業は大いに難航する。四苦八苦した挙げ句にどうにかこうにか取付けても,そもそも歪んだ面に無理矢理組み込んだものなので合わせ面から水漏れが遭ったりして再度やり直しの憂き目に遭うのは珍しくない。
 そもそも日本の厨房機材のメーカーなどというのはその大半が板金屋を出発点としている。輸入機械を一台買い込んで分解し,それをお手本にして自分たちが見よう見まねで作った箱に寄せ集めのパーツを組み込んでいるに過ぎない。本来的に機械メーカーではないのである。
 コンベアーを搬送させればそこで応力が発生するし,タンクには100ℓ以上のお湯が入っているのだから運転中にはタンク一個あたり100kgの重力が働いている。それらを受け止める筐体という発想に基づいて製品開発を行っている国内メーカーは俺の知る限り殆どなく,唯一の例外はIHIだが既に事業は譲渡済みである。

 顛末としてはどうにかこうにか,もたつく作業に従業員達の顰蹙を買いながら区切りは付けたものの食器洗浄機は動かすことが出来た。
 先にも書いたが所要時間は7時間半で、最近では珍しいロングマッチとなった。某うどんのチェーン店での茹で釜の整備以来ではないだろうか。
 未熟ながらも体力はある若い衆との共同作業だったので長いこと気を張り続けてはいたが,これが自分一人での修理作業だったら果たして7時間半もの長時間にわたって作業を続けていられたかどうかについては余り自信がない。何だかんだ理由を作って使用者を言いくるめ,作業は中断して後日完了予定,というふうに協議をまとめることも場合によっては出来なくもない。そういう話術も年の功のなせる技だが技術屋の端くれとしては奥の手であって,若い衆に置いてけぼりを食わないよう老骨に鞭打って頑張れるだけ頑張るのが正道だろう。

 それなりの経験年数を積み上げて場数を踏んだ上で感じることだが,厨房機器メーカーのサービスマンの一般的な傾向として,それなりの経験則を身体で憶えてはいても基礎的な物理現象については知識のない者が多い。また,機器の内部については経験則に根差した程度の知識はあっても周辺環境との適合性に関する知識のない者が多い。
 上から目線で偉そうなことを書いてはいるが,実のところこの俺もあんちゃんの頃はそういう程度の修理屋でしかなかった。それで随分時間を浪費し,使用者の顰蹙を買い,散々赤っ恥をかいた。若い衆と共同で作業をしているとその危なっかしさや心許なさが目につくが自分の若い頃の姿とダブるところは大いにある。それを言い換えると若い衆の未熟さが目につく程度に俺は於いた。体力は落ち,その代わりにある種の知恵は幾つか身に付いた。歳をとるというのはそういうことなのだろう。全てを兼ね備えた存在であったことは自分の人生に於いてはなかったことになる。
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組織の性質 [日記、雑感]

  俺には時事問題について何か語れる程の見識は元々なく,せいぜい自分の日常や身の回りのことくらいしか書けないのだが世の中,ニュースを見たり聞いたりしていると自分の身の上に重なることもたまに見かけられる。

 ISISという集団に日本人ジャーナリストが捕縛され,日本国政府を相手に身代金の要求が行われ,交渉が不調となって人質は処刑された、そのニュースを俺は他人事のようにして聞き流していたのだがこれはよく考えてみると俺を取り巻く世の中そのものではないかとある時気づいた。

 これ迄漠然と、この組織の人質に関する報道を幾つか読み飛ばしていて気づいたのは,報道関係で人質になった日本人はフリージャーナリストという肩書きだということだ。二昔以上前にあったフィリピンでの誘拐事件での人質は三井物産の現地駐在社員ではなかっただろうか。

 誘拐とか人質とかいうのではないが,近くは東北の震災で事故を起こした福島の原発報道では近辺での放射線量を伝えたり,画像を送った入りしていたのはもっぱらフリージャーナリストや有志の一般市民のような人達だ。大新聞社の記者や全国ネットのテレビ局のリポーターからの発信は一つも記憶にない。

 こういう事実を幾つか並べてみると,あることに気づく。
 第一に,状況がホットである時,そこには混沌があり,そこに踏み込むのは大きなリスクが伴う。報道でいえば特ダネが拾える可能性のある場所だし,商売でいえばあまり知られていない上得意候補と会える可能性のある場所だ。
 第二に,大きな組織というのは定型業務だけで仕事を完結させたい。イレギュラーなことをやりたくない。そのくせ大きな組織というのは金にしても手柄話にしても,とにかく全部独り占めしたがるもんだ。

 大して知り合いはいないが,マスコミ関係,大手のメディアというのは大変な高給取りであり、社会の中にあって彼らは疑問の余地なくエリートだ。そして,エリートは危なっかしい出来事に手を染めたがらない一方で手柄は欲しい。そこら辺を要領よく捌ける能力があるからエリートはエリートたり得てもいるわけだが。汚れ役やトカゲの尻尾を見つけ出してきてうまく利用する能力とも言えそうだ。

 リターンは欲しいがリスクは避けたい。そのギャップを埋めるものは諸兄もご承知の通り金しかない。金のためなら何でもやったるぜ,という人種は社会に不可欠なのだな。
 だから原発の運転や事故の際の処理にはヤクザが絡んでくるし,紛争や災害のあった地域には大きな組織から金をもらったフリージャーナリストが向かう。きっとそういう構図なのだろう。

 翻って俺の日常にも似たような構図がある。
毎月つけている商売のネタ帳を見ていると,厨房屋としてはイレギュラーな仕事に属するものが多いことに気づく。
*一昔以上前に生産が終了しており,市場からなくなりつつある機材
*製造元が現在なく,修理受付の窓口がない機材
*製造元が零細で生産台数が少なく,出回り量が少ない機材
*メーカーのサービスマンが修繕を一度手がけたが失敗し,元に戻せなくなった個体
*表記がよくわからない輸入機械
*深夜や早朝,休日などの時間外業務,悪天候下での遠方への出張修理
 メーカーからの依頼にはこういう類いのものが大変多い。売り上げは欲しいが後々のややこしいことには関わりたくない。依頼元に対して自分たちにはその解決能力がないので承りかねるとは言いたくないが無能な奴だと思われたくない。そういう事情が例えば俺のような野良犬に声をかけさせるわけだ。
 売り上げのためにやりたくないことや出来もしないことを請け負って会社に持ち帰り,協力会社を汚れ役や尻拭いとして利用するのはメーカーとしての本来的な姿ではないと俺は思うが俺自身の実入りに反映されるのであればその辺のご都合主義のことを表立って嘲笑はしない。犯罪に該当するとか,人迷惑なことでさえなければ俺は金のために仕事をするのだから。

 これはある時期迄,俺自身が誤解していたことだがメーカーというのは高い解決能力があって障害があった際の最終回答が出て来るところ,という思い込みはないか?
 しかし俺の携わるこの業界に関して言えばそれは必ずしも正しくない。実際のメーカーというのはパターン化された定型業務の手順を丸暗記して時間あたりの繰り返し処理数を伸ばすことを主眼としている。効率の追求とはそういうことだ。
 しかし現実の世界には必ず何かしら危険性のあるイレギュラーな出来事があり,これに関わる汚れ役や鉄砲玉や始末屋の存在が不可欠である。光の射すところには影も生まれるもので、俺が社会に棲息を許されているのはそういう場所なのだろう。

 地雷を踏んだり誘拐に遭ったりするリスクを冒して取材活動をするのは大新聞社やテレビ局の人間ではなく,彼らは安全なところにいて特ダネを金で買うだけなのだろうな。そして現実にそのソースを拾ってきたフリージャーナリスト個人がテレビや新聞でクローズアップされることは全くと言っていい程ない。これは俺と同じ構図だ。
 心情的には依頼元に対する何かしら侮蔑的な屈折がある。(ほんとに身体を張ってるのは誰だと思ってるんだこの野郎)というのが正直なところだ。同時に不特定多数の使用者に対しても(貴様等なんかに何がわかるか)という色合いの視線がいつも出るようになった。フリーランサーとはそういう風になるもののようだ。

 考えてみると,初対面の人物に対して「どんなお仕事をされているのですか」ではなく「どこに勤めておられるのですか」と訊ねる人というのはかなり多いのではないか。また,勤め人,月給取りというのは職場が大きな企業であればある程自分の職務内容より先に企業名や団体名を言いたがる。俺が生きているのはそういう社会だとこの人質のニュースを読んでいてあらためて感じた。
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第4コーナーを回る [日記、雑感]

 早いもので俺が世間様にデビューしてから30年以上が経った。
そのうち約20年は会社勤めをして過ごし、以後10年くらいは自分で修理屋を開業して今に至っている。

 あれよあれよという間に時間は経ち,そろそろ年金のことを考え始める年齢になった。会社員を続けていれば定年退職迄のカウントダウンが始まる年代とも言えそうだ。
 商売は決して順調とは言えないが,夜逃げや自己破産をしなければならないという程酷くもない。
夜中の作業だの休日の呼び出しにぶつくさ言いながらも、そういう日常によって生まれるお金のおかげで生活できているのだから仕方ない,まあ人生こんなもんだろう,こんな風にして死ぬ迄ダラダラと働き続けていくのだろう,そんな腹づもりでここ数年の日常を過ごしてきたわけだ,が。

 諸兄よ,人生どこにターニングポイントがあるかわからんものなのだ。
俺の住む田舎町の学校給食センターが移転新築することになり,俺はその施工の一部を受注したのが昨年の11月頃のこと。
 市内全ての小中学校の給食を一箇所で調理する、その数なんと1万4千食。
およそ厨房と名付けられる設備としては日本で二番目にでかいのだそうだ。そして,来年度から稼働するこの共同調理場の機器保全担当がこの俺になりそうな雲行きであることをここで諸兄に報告しておく。

 受注の主体は中西製作所で,炊飯セクションのみはアイホーであり、俺はそこからは外れている。炊飯関連機器以外の全ての機器保全を俺が担うことになる。
 この話は中西製作所の側からオファーされた。社内のサービスマンを現地営業所には配属させずに現地に協力会社を探してアフターメンテにあたらせる方針なのだそうで,職業人としての俺にはその程度の利用価値はあるらしいと,少々手前味噌だが俺もこの道30年なのだからそういう場所に辿り着いていたとしてもいいじゃねえか。これまで結構真面目にやってきたのだし。

 何というか,競馬になぞらえると俺の人生も第4コーナーを回っている途中のような心境でここ数日を過ごしている。つまり,色々思案した結果俺はこのオファーを受けた。
 これから年老いてくたばる迄今のような日常を持続することは出来ないと考えたからだ。
土日は休み、夜は働かない。そろそろそういう生活形態に落ち着きたい気がここしばらくし始めているのは事実だ。俺はもう若くない。

 共同調理場は何しろでかい。ホームページから施設のレイアウトがPDFでダウンロードできるのでURLを貼っておく。

http://www.city.obihiro.hokkaido.jp/gaxtukoukyouikubu/gakkoukyudyokukyoudoucyourijyou/a310501_100826chouribaseibi.html

 ライスボイラーは約40台,コンベアータイプの洗浄機が全部で12台,スチームコンベクションが13台でトロリーカートは26台、他にも色々,とにかくまあ,べらぼうな数の機材で,ここはかなり確信を持って予想できるが,ある時期からの俺はこの施設に年がら年中かかりっきりになって他の場所で仕事ができる時間が物凄く減る公算が高い。専任のような業務形態になる事さえ十分予想できる。つまり,現在の得意先のうちのある一定割合は俺の方からお別れを伝えなけれなならなくなるだろう。俺は社員を雇って自分の生業を拡大していこうという考えが全くないので、手に余る得意先は自分の方から後準備をして別の業者に引き継いでもらうことになり,それは元の勤務先にしておくのが順当だろうと考えている。

 これ迄お世話になった得意先を切り捨てるとはけしからん,何と身勝手な,と非難したい奴はしろ。
俺は幾つも転職を繰り返し,会社員を辞めて自営業者になった。そういう遍歴であるにも関わらず俺に見切りを付けることなしに目をかけて頂いた得意先の方々には大変感謝しており,それはこの先も変わるところはない。何といっても俺はその方々のおかげでこれ迄生活させてもらっていたのだし。
 しかし一方で,その生活でこれ迄の俺が随分色々なものを犠牲にしてきたのは事実だし,その生活が俺にもたらす不条理がこの先改善される見通しがちっともない。これもまた事実なんである。

 今ある心地よい日常がいつまでも続くなどという考えを持つべきではない。同時に今晒されている不条理がどうあがいても払拭されないと言うことはない。諸行無常,万物は流転していくのである。
 会社勤めをしていた頃から現在に至るまで、俺はいつも業務用の厨房機材や設備とはどうあるべきかを考え続けてきたし、色々な事を訴えかけてきたと思っているのだが、総じて俺の言葉は使用者に届かない。
 人の営為はおしなべてそうであるように、俺の携わる世界でもサービスマンという人材を使い潰して消費し続けながら企業や使用者が事なかれ的に時間をやり過ごしていく。そして俺にはそういう状況に不条理を感じながらもこれを変える力がない。目先の金のためにランダムに発生するイレギュラーな出来事を引き受けては処理する毎日は、言ってみれば痰壷みたいなもので、その出来事を解決するために俺は色々と本来的でない負担を負わなければならない。それは例えば市場でたった一台しか稼働していない機械を修繕するために新たに何かのハンドツールやら測定器を購入しなければならず、しかもそれらの出番はたった一度しかないという状況である。たかだか一介の自営業者が普通の作業単価でいつまでもそういう事を続けられるわけはないし、どこまでもそんな自己犠牲を期待されても困る。

 自分で言うのもなんだが、学校を卒業して働き始めてから俺は結構真面目にやってきたと思っている。会社勤めをしていた頃は『会社のために』『お客さんのために』と思いながら頑張ってきたがあるときそこに無力感や不条理を感じて色々思案した挙げ句、10年前に修理屋の商売を始めた。
 開業してからは『会社のために』という考えは俺の中から消えた。それは精神衛生上好ましい事で、勤め人をしていた頃よりは自分のやりたい事ができるようになったとは思う。
 しかしそれを10年続けていると今度は『お客さんのために』という思いも何だか薄らぎつつある。俺はイレギュラーな出来事の始末屋として同業者からも使用者からもスポット的に利用され続けているだけの存在だし、それは色々な意味で報われていなさすぎるのではないかとある頃から思え始めてきた。

 だから俺はそろそろ『自分のために』を最優先に考える事にしたのだ。
俺には状況を変える力がない。俺の言葉は大半の同業者にも機器類の使用者にも届かない。俺自身も内なる何かを変えるつもりがない。だとすれば俺は今いるところから去っていくしかないのである。
 自慢するわけではないが国内有数の規模を誇る給食設備でほぼ専任として業務に当たる事をオファーされたこの事実は、俺自身の職業人としてのクォリティを何らかの形で証明している事にはなっていると思う。
 しかしそこはある種の特異点であって、色々な意味で世間とは隔絶されており、業務用の厨房設備に関わる一般的な動向が反映されたり交流が持てる場所ではない。俺の居場所というのはそういうところでしかなく、とどのつまり、俺はこの業界の異端児に過ぎなかったという事を今更ながら自覚している。俺の職務経歴というのは敗走の歴史だったとも言えそうだ。
 ここ数日は今後の自分の身の振り方をあれこれ思案し続け、正直なところ少々疲れた。ろくに身体を動かさずに考え事をしているだけでも人間、結構疲れるものらしい。
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ついに女性サービスマン登場 [日記、雑感]

 このタイトルにはいい加減なところがある。
女性であるならサービスウーマンではないのかというご指摘はあるのかも知れんがお許しを。  

 昨年終わり頃のこと,用事があってホシザキの営業所に立ち寄ると丁度サービスチーフ殿の運転する社用車が出先から事務所に戻ってきたところだった。
 
 車の助手席には同乗者がおり二人一緒に降りてきた様子を見るとそれは小柄な体格の人物で,真新しい作業着からしていかにも新入りらしく見えたのだが,こういう体つきでは先々色々と苦労があるのではないかと俺は余計な心配をしたりもした。
 それで用件を済ませ、ホシザキの社員たちと少しの間立ち話の雑談に興じたわけだがこのとき俺はふとさっきの小柄な体格の人物に眼がいってたまげた。

 なんとその人物は女性ではないか。
一体全体どういうわけで女性が菜っ葉服を着ておるのか。

 いつごろからだったのか良く覚えていないが、ホシザキが間接部門以外で女性社員を採用するようになったという風聞を耳にしたことはある。 
 それは職種としてはおそらく営業職ではないかと俺は想像した。ただし、ホシザキ名物の雑居ビルが密集する繁華街での飛び込みセールスとかではなく、例えばショールームでの接客とか展示会やデモクッキングのイベント要員とかいったソフトにしてライトな業務に従事する人たちではなかろうかと考えた。
 俺は別段、男尊女卑とかいう考えは持っていないつもりであるが、自分が見てきた地方営業所での営業職の日常業務は一般的な女性にとって、とてもじゃないが我慢しきれるものではなかろうと思う。但し、上記のような業務内容であればまあ新卒女子であってもあまり心理的な抵抗感やストレスに見舞われることなくお仕事を続けられるのではないか。

 何せ、男女雇用機会均等法という法制度があるとは言え、ホシザキという俺の経験からすればまるで軍隊か新興宗教みたいな社風の会社がこの業界ではいち早くこういう雇用形態に取り組んだことに驚いたり感心したのは確かだ。

 ところで、俺の経験する限りだが厨房屋の業界は大都市の支店くらいのスケールであっても営業職が菜っ葉服にヘルメット、安全靴に軍手で納品現場に出ることは珍しくない。人手不足やら予算不足やらで営業職だからといって年がら年中スーツ姿でスマートなお仕事に終始させてもらえるほどこの業界は寛容じゃないのだ。もっと事実に近い言い方をするなら、人使いが荒い。
 だから俺は冒頭見かけた菜っ葉服姿の女性社員はきっと本来営業職であって、社内研修の一環としてたまたまサービスチーフと一日同行して修理屋の業務実態や稼動中の得意先の設備を見学するために作業着を着ていたのだろうとばかり思っていた。
 しかしサービスチーフや営業所長の話を伺うに何と、彼女は技術職として採用されたのだというではないか。これには本当にぶったまげた。昨年最も驚いたのがこれだと言ってもいいくらい驚いた。

 要件を済ませてホシザキの事務所を出てから俺はあれこれ考えた。
 まず第一に、ホシザキという会社は一体いつからこんな時代の風潮をスマートに反映するカルチャーになったのか。俺の知っているホシザキという会社はおよそ洗練とはほど遠い、何とも泥臭くて脂っこい、もろに体育会的体質だったはずなのだが。事務員以外には女子社員など不要というのがホシザキではなかったか。
 更に、というかそれよりも、一体女性に修理屋が勤まるものなのかという疑問が俺の中ではどうしても解けなかった。
 重ねて書くが俺は男尊女卑の考えを持つ者ではない。それどころか思考力や得意先とのコミュニケーション能力の問題であれば特に性別上の差はないとさえ考えているくらいだ。
 単純明快にそれはフィジカルな問題として女性に修理屋は勤まるものかという点に俺の疑問は集約される。この稼業は結構馬力勝負の場面があるからだ。

 しかしここ10年くらいの俺自身の仕事を顧みると、馬力勝負の場面は段々減ってきているのも事実だ。配管でいえばパイプレンチを持ち出す場面は段々減ってきているし、電気配線でも被覆電線をペンチで剥いて端子をカシメる作業は減ってあっけなくプラグインさせる構造とかが増えた。電動工具は小型ハイパワー化が進み、修理の場面でも活用頻度が上がってきているし、大体、ボルトやナットにしても対辺17mm以上のサイズ(M10以上)のものを扱う機会はこれまた確実に減ってきている。それはつまり,機器を開発する側があまり筋力を酷使しなくても済むような,言い換えれば普通の女性程度の筋力やリーチでもいじれるような機構設計を志向するようになりつつあるということではないのか。

 そうなってみると、女子が機械の修理をすることへの疑問や懸念は杞憂であって,それどころか俺自身が過去の人になりつつあるのではないかという,何というか寂寥感のようなものに捕われるのは事実だ。
 漠然とだが,厨房機材の修理業務に女性が携わる流れはこれから加速していきそうに思う。今から20年以上前にダンプカーや建設機器の運転に女性が従事することを予測していた人はごく少なかったと思うが今となっては全く珍しくない光景だし、スーツを着込んだ外回りの営業職は保険の外交くらいしか意識していなかったのに今では色々な業界にそういう女性がおり,むしろそれはごく普通の見え方になっている。

 女性の従事者が増えていくことでこの稼業にどういう変化が起こりそうなのかが今の俺には見えていないが、
こうして所謂現業職に女性が増えてきた背景というのはつまり,それまでは電卓を叩く手計算だったり1台のオフコンに何人もがぶら下がってきた事務職が安いパソコンが大量に出回り、表計算アプリの定型フォーマットで升目に数字を打ち込んでいくだけで一般社員が難なく事務計算をこなせるようになったり,小売店鋪はチェーン店の大型店舗や通販が販路を拡大する過程で店舗スタッフが少人数化,あるいは不要になっていった状況の推移の反映ではないだろうか。
 要するに,そういう働き口が減少したり消失することで女性の就職先も新たに作り出すことをこの社会は余儀なくされているわけだ。
 しかしまあ,デフレがどんどん進み,所得はどんどん落ち込み,年金制度は破綻が見え見えで,何だかんだ胡散臭い理由付けをしてやれ扶養控除は廃止するとか何とか,とどのつまり日本国の成人は男女の別を問わずつべこべ言わずに黙って身体をすり減らして死ぬ迄働き続けろ,税金を納め続けろと。働いて,テレビを見て,ジャンクフードを食って酒を飲んで車を買って35年ローンで家を建ててその中でせっせとセックスしてガキを作って新たな納税者をどんどん増やせと、この国の政府が大多数の国民に望んでいるのはそういう生き方であるらしい。
 
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やはり一人でやるしかない [日記、雑感]

 今日は大晦日で,今年一年の回顧を手短に表すとタイトルに書いたようなものだ。

 俺の裏道稼業も丸10年を過ぎた。
開業した当初,考えていたのとは全く違う状況の中で俺は漂流し続けている。大きな流れに翻弄されながらもがき続けてどうにかこうにか溺れずにいる,そんな感じだ。

 この10年,会社員ではなくなってしがない商売を立ち上げてからの俺は実に多くの人や組織に裏切られ続け,多くのものを失ったり傷ついたりしてきたと思うが反面,意外な人や組織から救いの手を差し伸べてもらうこともあり,今のところはどうにかこうにか夜逃げや自己破産はせずに何とかこうして年の瀬を迎え,のんべんだらりとブログの記事なんぞも垂れ流していられるわけだ。

 職業人としての俺は現在,競馬でいうと第4コーナーを回っている最中の感がある。
俺を取り巻く環境が余程大きく変わらない限り,来年は俺にとって最終的な過渡期の,大きな曲がり角を過ぎる年になる模様である。そして3,4年後にはこれ迄の10年とはだいぶ違う日常の中で俺は過ごすことになりそうな模様だ。
 勿論今の商売を廃業して全く異なる業種に身を委ねるとか,ましてや再び月給取りの生活に戻るとかいったことではない。今の商売自体は続くだろう,他に人並みにできることはないのだからこの商売を続けなければ俺はおまんまの食い上げだ。

 今の時点ではっきりしたことを書くわけにはいかないのが歯痒いが,深夜や休日に関係なくあっちこっちを駆けずり回り,メーカーの裏をかくようなインチキ修理や裏技を駆使してあぶく銭を稼ぐアウトローみたいな毎日ではなくなる模様,とだけ書いておこう。
 技術屋の端くれとして業界の約束事をあるときは無視し,あるときは狡猾に利用して他の同業者がなし得ないような結果を導き出すスリルを追い求める一方でこれを生業として日銭を稼ぐというのはある種マンガやドラマめいたありようだが,現実にこんなことを続けていれば爪弾きの鼻つまみ者が業界での指定席であることはこの10年で俺が身をもって体験した。
 
 とりとめのない独り言のような物言いだが,俺はこの商売を始めた当初,異業種の自営業者同士が横の連携で一つのプロジェクトを進めていくような構図を夢想していた。
 受注者がリーダーであり,協力業者は全体の最大利益のために奉仕し,場面を変えて別の者が受注者となった場合には他の者は同じく奉仕するという相互的関係の連続を夢想していたわけだ。
 しかしそれは実にお人好しな人間観であり,現実問題として人間は目先の金のためになら何でも利用するし簡単に裏切ったり陥れたりもする。『情けは人のためならず』という格言は俺の棲息する業界に突ついては空念仏もいいところだ。

 今年の俺は複数人での施工現場に於いて随分痛い目にあった。
職人の都合やわがままに振り回されて大して利益が出ないばかりか俺が依頼元との工事代金の取り決めがまとまらないうちから職人から俺への金の無心は酷く,俺は大して多くもない虎の子の定期預金を担保にして金を借り入れ、ようやくどうにか職人達への支払を済ませたのが昨日のことだ。勿論来月末には依頼元から金は入り,俺の借り入れは消えるのだが何だか大変面白くない気分である。

 経営とはすなわち資金繰りのことだ,と何かの本で読んだ覚えがあるがこういう局面では本当にそう思う。工事期間中のごたごたも含めて職人という人種のどうしようもなさはこの先記事にしていくことにする。一つの現場で複数人の職人を動員するような工事業者としての仕事は商売を始めた当初から積極的に取り組みたくはなかったものの、今年あった某現場であらためて懲りた。
 やはり一人でやるしかない。他人に依存しないと完結しないような仕事を俺はすべきでなく、それはどうも精神衛生上よろしくないようだ。そもそも俺は物心がついた頃から変人扱いされたり協調性に欠けるとの誹りを受けたりすることが多かった。どうも一人でチマチマやっている方が色々な意味で性に合っているようなのだ。となると出来ることと言えば機材の修理にほぼ限定される。

 この業界でおよそ30年,図面を書いたり施工現場の工程管理をしたりしたこともあったが職業人としての俺の芯を形成しているのはやはり一人作業の修理屋であるな。
 あらためてそんな風に自分の立脚点を苦々しい人間観とともに噛み締める今年の大晦日だ。

 例年通り,今年の正月も俺は数日,篭城作戦を貫徹する。どこにも行かず,誰にも会うつもりはない。毎年,正月休みには古典の読書に耽ることにしているが今年の題目はこれにした。
 
イリアス〈上〉 (岩波文庫)

イリアス〈上〉 (岩波文庫)

  • 作者: ホメロス
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1992/09/16
  • メディア: 文庫


イリアス〈下〉 (岩波文庫)

イリアス〈下〉 (岩波文庫)

  • 作者: ホメロス
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1992/09/16
  • メディア: 文庫

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複合機をリプレースする [日記、雑感]

 当然ながら,事務機もまたれっきとした商売道具だ。

ここで恥を忍んで書くと,6年前に新調したブラザーのインクジェット複合機は紙の送り機構が不調でしばらくずっとファクシミリの受信が出来ずにいた。
 
 メールの普及によって使用頻度が下がりつつあるとは言ってもまだまだファクシミリが不要になるわけではないし,この先なくなることもない。そういう中で受信が出来ないまま数ヶ月も放置していたわけで、当然ながら商売に影響がでないわけはなく,こういうところに俺のずぼらさ加減と言うか,至らない人間性は良く現れている。

 考えてみると,これ迄使っていたブラザー工業の複合機は購入した個体に何か不具合があり,無償で交換してもらったものだ。
関連記事名:太っ腹なブラザー工業に感謝
記事URL:http://tuttle.blog.so-net.ne.jp/2008-05-12

 自分の書いた記事を読み返す習慣はないのだが,今読み返してみると6年前は自分の商売のどん底の時期で,冗談抜きに廃業とか自己破産のことが日々意識をよぎる毎日でのことだったのだなあとその頃のことが妙に懐かしい。

 6年経って今の俺はどうにかこうにかこれ迄を食いつなぎはしてきたものの,今月などは積み残しの仕事が溜まってあちこちから総スカンを食っている。6年前がそうだったように既に俺から離れつつある得意先もきっとあり,それはこの先表面化してくるだろう。
 してみると俺の商売の低迷期には事務機器の類いが不調であるという,これは一種,周期性とも法則性とも言えるものがありはしないか。

 それはさておき,目下のところ俺は自分の商売を廃業するつもりは毛頭ないのでファクシミリが使えないまま仕事を続けるわけにはいかないし、続けられるわけもない。
キヤノン A4モノクロレーザー複合機 Satera MF216n 9540B046

キヤノン A4モノクロレーザー複合機 Satera MF216n 9540B046

  • 出版社/メーカー: キヤノン
  • メディア: Personal Computers

 キャノンという会社は俺の同級生の職場であり,その内情をあれこれ聞いたりその他色々な伝聞からして大して印象のいい企業ではない。仕事とは全く関係がないが俺個人の趣味で,若い頃にはカメラのことで裏切られもしたので尚更だ。
 今回俺はネット通販で買うよりも割高ではあることを承知の上で,安物のレーザー複合機を地元の家電店で購入した。特にメーカーにこだわりはないが,家電店での金額提示はキャノンの方が安かったからたまたまそうした。

 これ迄俺はこのブログで、飲食店のナショナルチェーンについてそれは地方を疲弊させ、厨房屋の人材を無意味に消耗させる大きな原因の一つであるとしばしば非難してきた。
 目先の金のことだけを追いかければ、全国を網羅する大資本が全てをかっさらっていく結果は見えているのだが,何かしらそういう傾向に抗いたい気持ちが俺にはある。できるだけ地元を使おうという姿勢と言い換えることもできるか。
 実は俺が自分の生業のことで困窮していた時期に俺を見捨てていった得意先の過半数は地元の人々だ。殆どの場合に於いて,基盤の小さな人達程大きなものにすがりついて同化したくなる,小さな者同士で連携を拡げていこうという考えにはなれない。これは俺が会社員を辞めて以来10年間の間に学んだ人間観で,恐らくこの先揺らぐことがない。

 地方を疲弊させる大資本のチェーン店を非難する一方で自分の商売道具を買い込む時にはAmazon.co.jpでは矛盾もいいところで,全ての買い物をこういう風には出来ないが、今回俺は小額ながら地方で生きている人間としての筋は通したつもりになっている。

 ところで,俺の自宅兼事務所では現在,ブラザーのモノクロレーザープリンターが一台稼働中だ。



 既にレーザープリンターが一台あるのだから何もわざわざ機能が重複する複合機を買うこともないのかもしれないが,今日日,感熱紙を使ったファクシミリの専用機を使うくらいなら長期のランニングコストを考えた場合,安物の複合機の方がまだ幾らか経済的な気がするし、いずれレーザープリンターがいかれたら今回の複合機にプリンターとして働いてもらうことになるので決して無駄な機能重複だとは考えていない。

 問題なのは俺の仕事用のパソコンもまたかなりの中古で,複合機のプリンタードライバーは俺のMacbookのOSをサポートしていない。
 そういえば仕事用のパソコンもそろそろ古さが目立つ。
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ブッチャーでなくなる日 [日記、雑感]

 薄暗がりの作業場でトンマな事をやらかし、頭を切ってから今日でちょうど一週間経った。

 仕事仲間の中には不届きな輩がおり,俺の蒙った災難をこういう人物になぞらえて茶化す奴がいる。
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 ことわっておくが,俺は頭頂部に傷を負ったのであって額ではないし,繰り返すが金はないが毛髪だけはそれなりにあるのだ。決してブッチャーみたいなつるっ禿ではないはずだが、ある種の人達からすると頭部に裂傷を負って出血するとすぐ連想するのがブッチャーらしい。

 しかし,今日からの俺はもうブッチャーではない。
さっき俺は病院に行って頭頂部に打たれたステープラーの針みたいなものを引っこ抜いてきたところだ。これ迄一週間,傷の具合が気になって風呂に入っても頭を洗うことを我慢し続けてきたわけだが今日からは思う存分頭を洗える。週末の修理で全身煤だらけになったので今日は恐らく頭を洗うと手が黒くなるだろうが何せ,実に晴れ晴れとした気分だ。
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 晴れ晴れとしているのは俺の気分であって現実の頭がこんなに晴れ晴れとしているわけではない。
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