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仕事先で接した訃報のこと [日記、雑感]

 ブログの更新をさぼり続けている。書きたいことがないわけではなくてその逆だが色々とややこしい出来事がここしばらく俺の周辺には多く,何か書こうにもなかなかまとまりがつかなくて書きかけの記事が非公開のまま積み上がっているのであります。仕事帰りのオヤジが焼き鳥屋のカウンターでグダっている程度の垂れ流しに過ぎないが一旦書きかけたものだからそれらはおいおい文字として公開したいとは思っとります。

 今日の夕方過ぎ,とある病院で食器洗浄機の修理を行っていた時のことだった。
機種はIHIのJMD-4C,今から20年ほど前の機種である。障害の内容はドアスイッチの破損で,磁気近接スイッチのマグネット側のケースが破損し,中のマグネットが転がり落ちてしまったせいでドアを閉じても運転されないというものだ。
 幸い,機体の内部でそのマグネットは発見できたので破損したケーズにシリコンシールを流し込んでそこにマグネットを埋め込むことで応急処置が済んだのが約十日前のこと。今日は補修パーツを調達しての交換でここで一区切り,という日だった。
 その病院との取引の履歴はもう20年以上前にも遡る。俺は転職歴の多い男で開業前の勤務先のもう一つ前の勤務先だった頃からの取引で,有り難いことにこの間,同業者と競合するような場面を迫られたことが一度もない。どの同業者にも声がかかることがない,今日日希有な得意先だ。
 
 食器洗浄機の試運転を終えて,長年勤務している調理員のおばさんとちょっとした雑談をした。
「この食器洗浄機ももう随分働いたしねえ,あとどれくらい頑張ってくれるのか・・・」とおばさんは漏らした。
 この病院の給食室は19年前,増築工事の際に移転し,そのとき俺が納めたもののうちの一つだ。
「増築工事の時の栄養士さんも去年亡くなっちゃったしねえ。随分経ったねえ」感慨深げに彼女が呟いたとき,俺の中では何かしら色々な記憶がいっぺんに呼び起こされて何とも言いようのない気分が湧き起こってきた。

 享年42歳,死因は乳がんだそうで彼女は生涯独身だった。最後に会ったのは6年くらい前だろうか,彼女がその病院を退職して数年経ってから偶然ある食品スーパーで再会し,立ち話をしながらお互いの連絡先を交換し合い,その後一度一緒に夕食に出かけたことがある。通常,俺の流儀として,仕事で関わる,或いは関わったことのある方とプライベートで接することはなるべく控えることにしているのだがこれは例外。

 時系列で遡ると今から23年くらい前,当時の俺の勤務先の事務所に彼女は何の前触れもなく忽然と登場したのだった。
 どこで知ったのか,彼女は俺の名前を告げてその方に相談したいことがあると言った。
一面識もない俺は10歳くらい若いその女性に挨拶をして本題を伺った。彼女は某産婦人科病院の栄養士であり,これからカッターミキサーを購入したいので選定について助言が欲しいとの意向だった。
 男女に限らず,厨房機材の購入は大体感情任せの業者任せか、目先の金だけの中古品漁りが通り相場なので真面目なバイヤーなんだな,と妙に感心した俺は変に張り切って幾つかのメーカーの製品を提示してみせてそれぞれ説明し,FMIで扱っているロボクープが良さそうだとのことだったのでいずれ実機を使っているところを見に行って使用者の方に意見を伺ってみましょう,ということになった。

 そんな風にして彼女の勤務する病院との取引は始まり,その厨房にある機材の修繕の業務は全て俺が手がけるようになり,数年してから増築工事に伴う新しい厨房のプランニングの依頼が来た。
 当時,病院給食の分野では選択メニューの導入が予見されていて、これを前提としたオペレーションとなるように加熱調理のセクションを二つ有し、ホールにはサービスカウンターのあるレストランと病院給食の折衷みたいなレイアウトを俺は計画した。当時としては結構新しい試みで,オープン後も他の施設から見学者がそこそこ訪れたらしい。その基本構想はこの栄養士の発案によるものだ。

 彼女は何というか才気に勝るところがあり,仕事は物凄くできたがその言動はしばしば激越で周囲を狼狽させた。自分の親くらいの年齢の調理員を叱り飛ばすことなど日常茶飯事で,俺などもしょっちゅう罵詈雑言を浴びせかけられ,そんなに頭に来るのならいっそのこと取引先を替えればいいではないかと辟易することもあったが何故か毎度お呼びはかかり,俺がその会社を辞めて別の同業者に転職してからも取引は続いた。

 今から12,3年前,彼女はその病院を退職することになった。
職業人としては大変有能な方だったのでどこかからスカウトでもされたのかと思ったが、もう栄養士の仕事をするつもりはない。栄養士の仕事は自分が納得できるだけのことをここ数ヶ月で充分やり切ったのでこの仕事はもうしないと言う。
 調理のセンスが大変鋭い方でもあったので,そちらの方面で何か思うところがあるのかと言えばそうでもなく,自分の経歴はあくまで栄養士としてのものであって調理師の世界を下積みから経験したわけではないからそれはあり得ない。調理のことはあくまで趣味に留めておくと言う。
 要するに,これまでとは全然関係のない食品とか調理とか栄養管理といったこととは無縁の何かを生業としていくつもりだとのことで,随分思い切った決断をするものだと俺は驚きながらもその才能を封じ込めてしまうの惜しみもした。

 その病院で最後に彼女と接したのは退職を数日後に控えたある日のことで,俺が何かの修繕を済ませて報告を終え,お別れの挨拶をした後,退勤する彼女が「もうお会いすることもないでしょうけど」と俯き加減で俺とすれ違った。最後に交わす言葉としてはいささかしっくりこないものを感じたが,俺に何かしらその方の要望に応えられないところがあったのだろうな、という気がした。

 それから一年ほどして仕事中に偶然,街中で彼女と再会する場面があった。
俺は当時の上役である支店長と同行しており,三人でランチを取ることにした。彼女は某新聞社の系列会社で出版関係の仕事に就いており,意識がすっかりその分野に切り替わっているようで何とも鮮やかな転身ぶりに見えた。
 俺のように一つのことを延々とやり続けてやっと人並み、というのではない人種がやはりいるのだなと感心したものだ。

それから10年後の現在,こうして訃報に接すると生き急いだ方なのかという思いがある。
かの村上春樹の一節をパクらせてもらうと,「ある種の人生は最初からその長さに耐えられないように出来ている」というのが当てはまりそうにも思える。今となっては確かめようがないが,余りにも大きな才能は必ずしもその人を幸福にしないのではないかと常日頃から俺は漠然と考えている。

 そもそも彼女はどこで、どのようにして俺のことを知ったのだろうか?
これは23年前から今に至るまで明らかでない。今となっては確かめようもない。
タグ:訃報
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コメント 4

くるみ

切ない出来事でしたね…。これもまた受け売りで 真実か解りませんがこの世の生き物は 一生になる鼓動の数が皆同じだそうです。だから寿命の短い生き物は、長いそれより早く心臓を打つそうです。考えたら短命の小動物なんかは、動きも早いですよね。決まった命を 全うしようとしてるのかもしれません。彼女もそうだったのかも知れませんね。
by くるみ (2013-07-23 20:17) 

663H

好きだったですね、彼女の事が。
by 663H (2013-07-24 22:29) 

HarryTuttle

くるみ様,いつもコメントありがとうございます。
本文中でも書きましたが生き急いだ方だったと思います。
動物の喩えはそれとして,ヒトという一つの種の中にも色々なありようがあるわけです。
by HarryTuttle (2013-07-29 23:28) 

HarryTuttle

63H様,度々のコメントありがとうございます。
 曲解を案じると返答には窮しますが,広い意味ではやはり好きだったのだと思います。
 職業人としての理想論を追求するその姿勢に対する共感,というのが近そうですね。
by HarryTuttle (2013-07-29 23:32) 

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