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三つの変数を満足するとき [困った客]

 今年のゴールデンウィークも例年の如く,毎日一件ずつくらいの用事があって丸一日ゆっくり出来ることは殆どなかった。仕事の総発生数はある期間を区切ると大体一定なのだが日によってばらけ具合がある。そして例えば依頼がある一日に集中して猛烈に忙しく、残りの日は何にもないということはない。俺の出来の悪い頭ではよくわからないが何と言うかこれは一種,自然法則に根差した確率論のようなものと考えている。

 日曜日や祝日の修理対応をどのようなものにしておくかについて,俺には未だに確たる考えがまとまっていない。ここには体調と気分と金という三つの変数が存在しており,それらの組み合わせ次第で俺の対応はバラバラであるのが実態だ。よって,依頼元から見た俺は物わかりがいいときもそうでない時もあるのだろうが,そもそも人間そういうもんだ。

 5月4日のことを書いておく。連休の真っ最中で,私的には兄弟が帰省していたのでしばらくぶりに顔を会わせていた日であり,前日深夜は某ホテルのコーヒーラウンジのバックヤードでソフトクリームフリーザーと格闘していたので結構バテ気味の朝であり,翌日には数件の修繕を控えていたので作業の段取りをしなければならないなどなど先に書いた三つの変数でいえば全てを満足する状態に俺はあった。

 こういうタイミングで俺に修繕の依頼をしてくる方とはしばしば、お互いにわだかまりの残る結果となる。
今回,一方の当事者であるその男は俺の中学校の同級生である。そして近年,この男とは行き来が疎遠になりつつある。

 この男は一応,調理師であり現在は某第三セクターが運営する道の駅の責任者を務めている。
同級生だからという縁のせいだろうが仕事の上では随分ご厄介になった。その彼はある時から,なんだかわけの分からん話を何度もしきりと俺に吹き込みたがるようになった。
 何でも,彼の職場では俺の評判が良くないのだそうだ。彼の職場の中には『厨房屋なんていうのはなんぼでもいるだろうが』と不満の声があるらしい。

 良くあるくだらない,廊下トンビみたいな振る舞いであり,こんな話を真に受けていちいちいきり立つほど俺も幼稚ではない。
 何かしら俺に落ち度があるのかもしれないな,とは思うが人の思うことを外部から変えることはできない。
廊下トンビ君の意図は不明であり,真偽についてもこれまた不明である。ただ,俺の経験則はこういう真似をする奴,こういう話を殊更何度も吹き込みたがる奴というのはえてして他人の対立感情をいたずらに煽り立てては高みの見物を決め込んで面白たがりたい奴であって、そもそもその話を持ち込んできた奴を疑問視することにしているのである。

 『厨房屋なんてなんぼでもいる』という言葉の通り,俺は廊下トンビ君の勤務先であるその施設とは段々疎遠になり,俺とは入れ替わるようにして俺の元の勤務先がその施設とは活発な取引をするようになった。残念ではあるが先に書いたように人の思うことを外部からは変えることは出来ないので俺は現実を受け入れて他の収入源を探せばいいだけのことだ。
 段々疎遠になる間,駄洒落ではなく癇に触る依頼が幾つかあり、本題からそれるのでここでは書かないが,こういう時間なり関係なりの推移にあって依頼ごとが決まって日曜日とか祝日であるというのは随分とまた人を舐めた話ではないか。偉そうな啖呵を切っておきながら何故そういう場面でだけ依頼先が俺なのか。厨房屋なんてなんぼでもいるのだから割の悪い依頼でも恵んでもらえるだけ有り難いと思えということか。

 5月4日の電話もまたそういう内容のものだった。
物産館にある冷蔵ショーケースから物凄い音がするので今日修理してもらいたいと言う。俺は即座に断った。『厨房屋なんてなんぼでもいる』のだからどこにでも好きなところに依頼すればいいのだ、何故俺なのか。廊下トンビ君は幾つか業者に電話してみたがどこも対応できないので俺のところに連絡を寄越したと抜かした。

この場面で,こういう物言いは火に油を注ぐものだという自覚が恐らく彼にはない。

 どこまで人を舐めれば気が済むのかこのバカタレが,と,俺は内心舌打ちしながらとにかく俺には他の予定があるのでその依頼は断ると伝えると彼は俺の元の勤務先の所長様に電話してみようかと思うがどうかと投げかけてきた。どこまでも虫のいい野郎である。自分で考えたら?,と伝えて俺は電話を切った。
 
 俺は自分のビジネスに於いて,感情論で物事を決めることを通常しない。
しかし人間関係というのは一方の思惑だけでコントロールできるものではない、これは真実である。
こういうやり取りは恐らく廊下トンビ君の逆恨みを買い、これから先は恐らく日曜日や祝日にかかってくる虫のいい修理依頼さえもなくなっていくのだが、俺としては負け惜しみでもなんでもなく,都合都合で私的な関係を持ち出されて貧乏くじばっかり引かされて年がら年中変なわだかまりを持って接するくらいならいっそのこと全てをビジネスとして割り切った方が心理的にはすっきりすると判断している。

 ビジネスとして割り切るとはどういう事か,深夜早朝,日曜祝日,こういう場面での俺のチャージは作業が完結するしないに関係なく50%オンだ。文句があるなら他に依頼しろ,最短時間で解決したかったり最小限の出費で解決したいのだったら自分で修理を覚えろ。以前も同じことを書いたがどうも近年,厨房機材の使用者というのは余りにも野放図になり過ぎているし業者は低劣な客先に迎合し過ぎている。

 翻って5月4日当日のことを思い返すに,ここで書いた三つの変数について、
*もしも前日の深夜作業がなくて俺がくたびれていなければ・・・・
*もしも廊下トンビ君のくだらない煽りが不愉快な素地をこしらえていなければ・・・・ *もしも俺が今以上に金がなくて大変切羽詰まった生活事情であったら・・・・・  俺はどんな風に対応していたかな?と考える。考えたって仕方のないことなのだけれど。
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くるみ

いつも興味深く、時に感慨深く拝見させて頂いております。今回も心に残り…。人間は機械ではないので感情が伴うのは当然ですね!友人のお仕事の相談は大抵人間関係で、辞める原因もやはり人間関係です(私も含め)(+_+)人は仕事の為に生きるのではなく生きる為に働くのだから、仕事を選ぶのは妥当な選択ですよね(^-^ゞ 『廊下トンビ』とゆう表現は初めて聞きましたが(^^;もし私ならそんな大口を叩いたなら、自分の意地?もあり相手に失礼なので その様な態度は絶対しませんが…。勝手な人は多いですね?
by くるみ (2012-05-11 02:08) 

HarryTuttle

くるみ様,いつもコメント有り難うございます。

馴れ合い関係ではしゃぎ合っている程度で相手を友達だと思い込み,
友達であれば幾ら図々しい甘え方をしても許されるものだと勘違いしている大馬鹿者というのは確かにいるものです。

 そしてそういう輩はいつかどこかで冷徹な現実と向かい合わなければなりません。
 あらゆる人間関係は不断に試され続けていると私は考えています。
そこには常に幾らかの緊張感はついて回るのであって,大人の付き合いとはある意味,これに耐え続けることだとも思っています。
 
 本筋からはズレ気味ですが,こういう浅はかなマッチポンプというのはいつかどこかで転ぶのが常道ですがこんな事ばっかりやってる人にそのときどれくらいの人が手を差し伸べるのか・・・・
by HarryTuttle (2012-05-11 22:32) 

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