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請求書が嫌いな理由 [日記、雑感]

 嫌いなものは世の中にそれこそ浜の真砂ほどもあるが、私はとりわけ書類が嫌いだ。中でももっとも嫌いなのは請求書である。これを書くのは死ぬほど嫌いだ。

 毎月毎月上旬は憂鬱である。前月のお仕事の出来高をチェックして請求書を書くのが実に面倒臭い。何か飛び込みで仕事が入ってくると請求書をほったらかしにして外出する。
 
 これは自慢にも何にもならない話であって単なる恥さらしでしかない。容易に想像できることだが、結果として私の請求書は出し忘れやお客様の締め日に間に合わないことが多く、自業自得の貧乏生活に甘んじる結果となる。

 前月分の請求書を全て書き終えて封筒の束(と言ってもたかが知れている)を郵便局に持ち込むと自分が何かとてつもない偉業を成し遂げたかのような感動を覚える。
 そうして手持ちの請求書がだんだん減っていき、新しい請求書を100円ショップで買い込んでくるわけだがこのときの鬱屈した気分は何と表現すればよいだろう、苦役に服する囚人のような気分である。マグロ船に押し込められた多重債務者の気分に近いかも知れない。

 何が嫌だといって買ってきた請求書にはんこを押す時間ほど嫌なものはない。一ページずつ請求書をめくりながらゴム印をペッタンペッタン押す時間は拷問に等しい。これはもう本当に、心の準備をして気合いが満ちてきたところで一気呵成に行わないとおそらく私はいつまでもさぼりたくなる種類の営みだ。

 お金がなくても生きていけるわけなどないし、これだけ貧乏生活を続けながらどうして私はこんなに請求書が嫌いなのだろうかとある時真剣に考えた。
 元来、生きることの緊張感が希薄でグータラな性分がその理由の一つだということはこの出来の悪い頭でもすぐに思いついた。次にあることを思い出して私は深く納得したのだったがそれは以下のような環境に由来している。

 私の実家は以前、酒屋を営んでいた。子供の頃の私はそれなりに稼業を手伝う事がやはりあった。
小学生くらいの頃、学校が引けてそこら辺をほっつき歩いて遊び呆けて家に帰るのは大体午後5時頃が多かったような気がする。何故その時刻かというと決まって何かアニメや怪獣番組など子供向けの再放送が行われていたからである。
 
 家に帰ると月に何度かは私の父が真新しい請求書を事務机に載せていた。その請求書に酒屋のゴム印を押すのが私の手伝いのうちの一つでもあったわけだ。
 アニメの再放送に見入っているとお仕事を促す父の気配がした。私は嫌々はんこを押し続けた。片目でテレビを見ながらもう片方の目ではんこがずれないように押し続けるなどという芸当が出来るわけはないので私は実におもしろくない気分でテレビの音声だけを聞きながら陰気で単調なな作業を続ける、と、私の視線がテレビから逸れたことを察知した父はすかさずチャンネルを相撲やらニュース番組に切り替えて悠然と見入るのだった。
 何というか、これが非常に憂鬱にして腹立たしい時間だったことを唐突に思い出した。請求書から始まってデスクワークの嫌いな私の性分はこういった少年期の時間に由来しているのではないだろうかと思う。更に言えば、小学生の私に請求書のはんこ押しをさせていた父というのも実は書類が大嫌いで、この性分は遺伝によるものなのかも知れないと想像してみると実に根拠のない安心感を得た。これはもう、幾ら努力しても一生矯正できないという答えを得てしまうとどうしてこんなに安心できるのだろうかと我ながら不思議に思う。

 そして本日は月半ばに近い12日であり、私は未提出の請求書をほったらかしにしてこんなしょうもないテキストを書くためにキーボードを叩いている。実にたわけた人生模様だとは思うが私はそれくらいデスクワークが嫌いなのだ。

 

 


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