債務者の異議申し立てにより調停へ [同級生の再起にまつわる話]
昨日午後,裁判所から連絡があり,債務者は支払督促の送達に対して異議申し立てを行い,分割払いのための調停を申し立てたことが書記官から伝えられた。
これにより,俺が債務名義を取得する機会は一旦,失われる。
不思議なことに,感情の揺らぎめいたものが起こらない。強制執行などという強圧的な解決手段を以前の同級生相手に行使せずに済むかもしれないという安堵感と一体どこまでこの問題の本質を誤摩化して解決を引き延ばせば気が済むのかという不愉快さが妙に均衡している,そんな感じだ。
その不安定な均衡の中で,俺はこれまでの色々な出来事を思い返す。
ここには書かずにきた不愉快だったり屈辱的だったりした諸々の場面を思い返した。
俺は元々法律の知識がなく、勿論調停の当事者となった経験もないのでそれがどういう風に展開されるのかは現在のところ見当がつかない。
間違いなく言えるのは以前の記事で書いたような、俺が債権者として奴の経営する店に乗り込む場面はひとまずなくなり,調停委員立ち会いの元裁判所で俺と奴との顔合わせがあるということだ。
前者の展開であったとすれば、場合によっては感情が爆発してのっぴきならない様相が生まれたかもしれないわけで,そこを回避できたという意味では良かったと思う。
しかしだからといって,俺が鬱積させ続けてきたものを調停の場に於いても封印し続けておこうと考えているわけでもない。結果がどうあれ,言うべきことは言わせて頂く。
売り掛けの問題について彼との協議に終止符を打つ決断をしたのが8月の終わりで今は12月の中である。そもそも売り掛けの発端は,去年の8月初めのことなのだ。そこから更に,内容証明郵便を送達してからでさえもう2ヶ月が経った。
長い・・・・・
俺はもう,充分以上に待ったし,彼にも時間を与えたと思うのだが彼からは一円の入金もなく,一言の謝罪さえない。
俺には不可解なことがある。
何としても奴から問いただしたいことが俺にはあるのだ。
それは調停の場で明らかにしたい。
今は,裁判所からの呼び出しを待つ。ただ待つ。
これにより,俺が債務名義を取得する機会は一旦,失われる。
不思議なことに,感情の揺らぎめいたものが起こらない。強制執行などという強圧的な解決手段を以前の同級生相手に行使せずに済むかもしれないという安堵感と一体どこまでこの問題の本質を誤摩化して解決を引き延ばせば気が済むのかという不愉快さが妙に均衡している,そんな感じだ。
その不安定な均衡の中で,俺はこれまでの色々な出来事を思い返す。
ここには書かずにきた不愉快だったり屈辱的だったりした諸々の場面を思い返した。
俺は元々法律の知識がなく、勿論調停の当事者となった経験もないのでそれがどういう風に展開されるのかは現在のところ見当がつかない。
間違いなく言えるのは以前の記事で書いたような、俺が債権者として奴の経営する店に乗り込む場面はひとまずなくなり,調停委員立ち会いの元裁判所で俺と奴との顔合わせがあるということだ。
前者の展開であったとすれば、場合によっては感情が爆発してのっぴきならない様相が生まれたかもしれないわけで,そこを回避できたという意味では良かったと思う。
しかしだからといって,俺が鬱積させ続けてきたものを調停の場に於いても封印し続けておこうと考えているわけでもない。結果がどうあれ,言うべきことは言わせて頂く。
売り掛けの問題について彼との協議に終止符を打つ決断をしたのが8月の終わりで今は12月の中である。そもそも売り掛けの発端は,去年の8月初めのことなのだ。そこから更に,内容証明郵便を送達してからでさえもう2ヶ月が経った。
長い・・・・・
俺はもう,充分以上に待ったし,彼にも時間を与えたと思うのだが彼からは一円の入金もなく,一言の謝罪さえない。
俺には不可解なことがある。
何としても奴から問いただしたいことが俺にはあるのだ。
それは調停の場で明らかにしたい。
今は,裁判所からの呼び出しを待つ。ただ待つ。
私ももちろん裁判の知識や経験がなく未知の世界、マスコミで目にするような事柄です(^^; 当事者は精神的苦痛と時間の浪費が伴うと思いますが…納得いく結論になりますようm(__)m でも必ず勝つのは正義だと信じております!! それでなければ いけないのです。
by くるみ (2012-12-15 00:50)
くるみ様,いつもコメントありがとうございます。
「正義」という言葉に私は懐疑的なところがあり,自分がその側に立っている確信も持てません。
他人を困らせたり悔しがらせたりすることをゲームのような感覚で捉えている人間が何の罰も受けずにのうのうと暮らすことは許されないとは思います。
しかし,相手がどんなロクデナシであったにせよ、他人を良心の呵責もなしに破滅に追い込めるような人間性にも疑問があります。それは既に狂気に取り憑かれて内心の何かが麻痺した人間のすることではないかと思います。
調停という閉じられた場所で,或いは私はそのような状態になるのかもしれません。だから私は彼を理解しようとするのを止したのです。
それが成就したとき,私は跳ね返ってくるものを覚悟しなければなりません。この出来事にハッピーエンドはありません。
by HarryTuttle (2012-12-15 16:16)