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視界をよぎる光景 [同級生の再起にまつわる話]

 月末の慌ただしい日だった。気のせいか,普段の月末よりも忙しかったような気がする。

 午後のある時,俺の携帯電話に着信があった。俺のクライアントである某氏がたまたまこの田舎町を通過するので途中立ち寄るとのことで,久しぶりに顔を合わすことにした次第。
 待ち合わせた喫茶店で少しの間雑談した。某氏は実はこのブログの読者でもあらせられる。
今回の,同級生との一件にも関心がおありのようだ。やり取りの中で彼からこの事象の核心を突く質問が発せられた。

 俺がこうして,裁判所にまで訴えて得たいものは何なのか。金銭なのか、応報感情を満足させることなのか。

そう,それは俺がこの問題の当初から絶えず自問を繰り返しては葛藤し続けてきたものだ。
俺はこう答えた。
両方です。


 実利だけで終わらせるにしては彼はこれまで無用に驕り過ぎ,余りにも俺を愚弄し過ぎている。
 謝罪の姿勢だけで支払の猶予を与えるにしては彼は余りにも狡猾であり過ぎ、信用ならない。

だからこれらを切り離して考えることは出来ない。
ある時から俺は考えるようになった。 
彼を理解しようとしてはいけない。彼との和解を模索しようとしてはいけない。いかにして打ち負かし,屈従させるか以外の姿勢で臨んではいけない。残念だが世の中にはそういう人種が必ず一定数おり,彼は間違いなくそこに属している。

 今月25日,彼の店は閉店となった。
昨年,何かしら引っかかるものを抱えながらも竣工させたその店はわずか一年で閉店となった。
実際のところはそれで彼が飲食店を営むことをやめたわけではなく,俺の住まいの近くにある居抜き店舗に移転して再開を企図しているらしい。
「らしい」と書くのはその同級生から俺のところにこれらの連絡は何もなく,伝聞に過ぎないからだ。

 債権者には何の連絡もなくこっそりと店を畳んでまたどこかにずらかり,これまでと同じことを続けようとする。或いはこれまでと同じことを続けて生き延びていけるものだと思い込んでいる。結局というかやはりというか彼はそういう人物だということだ。

 夕方近い薄暮時,仕事の合間に一旦自宅に戻る道すがら車を運転する俺の視界をその移転先の様子がよぎった。
 大工と思しき職人が外壁の改修工事にかかっているところだった。
送りつけた内容証明郵便に応えた彼の支払予定は結局反古にされたままだ。
でありながらこうして移転先の改修工事のために工務店に支払う金は取ってあるということなのか。
それともこの工務店は俺と同じ憂き目に遭うのだろうか。
 見るからに普請の良くない,いかにも家賃の安そうな長屋の一角でその男は性懲りもなくこれまでと同じことを繰り返そうと必死であるらしい印象を俺は受けた。

 詐欺師は詐欺師なりに,生き延びていくためには精一杯の知恵を絞る。しかしその思惑は成就されるべきではない。
 その男はどこかに金を隠しており,三たびの開店に何か賭けるものがあって或いはひたむきな姿勢で取り組んでいるのかもしれない。だが、ひたむきでさえあれば何でもかんでも立派だなどということがあるわけはない。
 どの程度自覚しているのかは知らないが,その男の尻にはずっと前から燻り続けていたものがある。
既にそこには火がついている。いずれ爆発するのかもしれない。きっとそれでもこの男は懲りずに無意味な強がりを続けるのだろう。ガキの頃からそういう奴だったことは誰よりもこの俺が知っている。
 ならば,どこまで苛烈であれば悲鳴を上げてのたうち回るのか。

 これまで俺に投げつけ続けたものを今度は奴に受け取ってもらおうではないか。俺からの開店祝いだ。
その男の新店舗は12月6日にオープンする予定と聞いた。その前日か前々日に彼は裁判所からの支払督促を受け取る。

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くるみ

そういう一定数の人種が幼馴染みだった事は切ないですね。ずるく詐欺師まがい(真の詐欺師!?)に生き抜く人は、本当にしぶといのですね!?例え尻に着いた火が全身を燃やし尽くしても、気づかず生きていそうな(^^; でも『正義は勝つ』ってあると思います。そんな世の中じゃないと いけないと思います。最高の開店祝いでしたね(^-^)b(笑)
by くるみ (2012-12-04 00:59) 

HarryTuttle

くるみ様,いつもコメントありがとうございます。
 私はいつも誤ったり迷ったりし続けているので自分の行動に正義を謳える程の絶対性があるのかについては未だに自信がありません。

 私の行いは正当性の有無にかかわらず,このような手合いにとっては必ず逆恨みの応報感情に火をつけることを私は予想しており,それを受けて立つ覚悟を決めたということです。
 今回の出来事は,その人物を理解しようとは思わないことで行動の枠組みが明瞭になってきた気がしています。恐らく彼にとっての私も同じように理解する相手ではなく打ち負かして利用する対象だったということなのだと理解できました。
by HarryTuttle (2012-12-04 10:58) 

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