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サービスはタダではない(1) [困った客]

 サービスとは何かね?というところから話を始めてみたい。
実際、これだけ頻繁に用いられながらこれほどその場その場で都合良く拡大解釈されている言葉もそう多くなさそうに思うからだ。

 学生の頃、就職先の会社名を見ていると「●●サービス」という名前の会社が少なくなかった。ついでに言うと、理工系の学校の場合「●●サービス」に就職する学生というのは成績は中くらいから下のことが多い。大体の場合に於いて「●●サービス」には製造元である親会社があって、出来る学生というのは親会社に就職するからである。

 私が一時期勤務していた●●電機の地方販社で私の職種は「サービス」というものだった。
最初は一体、何をサービスするのかと考え込んだが職務の内容は要するに修理屋である。
 「サービス」として働くようになってからは、当然ながらお客さんと修理代金のことでもめる場面が出てくる。その時お客さんはしばしば「修理代をちっとはサービスせえよ」という内容のことをのたまった。ここでのサービスとは「値引き」のことであるらしい。
 その後転職して、修理だけではなく物販も行うようになった。商談の最中に何か機械の付属品が話題になると「低額でもあるし、このくらいの物でしたら私の裁量でサービスさせて頂きます」と、ごく当たり前に私は口走っていた。ここでは値引きではなく、無償という意味合いだ。

 他にも色々ある。バレーボールのサーブも語源は一緒なのだろうし、よく聞く話としては奉仕という言葉に訳されることもある。身の回りには実に頻繁にこの、サービスという言葉が飛び交っているのだがしかし第一義的に、サービスって一体どういう意味なのと聞かれて答えられる人は一体どれくらい居るのだろうか?

 その後、現在に至るまでとにもかくにも世間的には大人としての時間を過ごしながら得られた答えは、
 「サービスという言葉に、同一の一語で対応する日本語はない」ということだった。これはスポーツとか、プライバシーといった言葉同様、西洋文化圏、もっと正しく言えばキリスト教文化圏でのでの概念であって極東の島国民族の生活意識にはない考え方らしいというところに行き当たった。

 キリスト教文化というのは人と人とが直接接するという考え方をしないものらしい。人同士の間には必ず神が介在するのである。それでサービスとはどういう関係性を現しているのかというと、
 「人物Aは神の代理人として働き、それ故にこれを受ける人物Bは純粋な感謝の念を持つ」ということらしい。キリスト教にはしばしば「愛」という言葉が登場するが、これもそのバリエーションのうちの一つと捉えられなくもない。

 丁寧な言葉遣いでヘイコラするとか、値段をタダにするとかがサービスではないのである。私のお仕事で言えば、故障した機械は持ち主が自分で修繕する、というありようが実は基本なんである。これは詭弁でも何でもない。買った機械はその持ち主の物であって、私の物ではないのは当然だ。そこから生まれる利潤や利便が全面的に持ち主の物である以上、そこから生まれる損失も持ち主の物であって、故障した、老朽化して性能が低下しているという場面でのジャッジもまた最終的には持ち主の判断に帰納されるのである。
 修繕については殆どの場合、持ち主にその能力はない。だから持ち主は自分以外の、何か他の存在に問題の解決を依存しなくてはならない。
 これに応じてくれる他人が世間のどこかにいるということは、神様が機械が壊れて困っている私であるところの人物Bを見守っていてくださるからだ。というのがキリスト教文化ものとでの「サービス」の原初的というか理想的な有り様らしい。

 そういう構図で言えば修理屋もちょっとは居住まいを正してお客さんのところにお邪魔しなくてはな、とは思う。なんせ、「神の代理人」だし。(続く)

 


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