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休日の故障について年明け早々客先との会話を抜き出す [困った客]

ここ数年の通例通り,暮れから正月にかけての建前上の休みは全くもって建前に過ぎない事が今年も繰り返された。よって俺は例年通り,大変不機嫌な仕事始めを迎えたわけ。

 静かだったのは12月31日と翌日元旦だけで1月2日からは小出し小出しに毎日修理の依頼だの何だのが入る。金が儲かるんだからいいじゃないかという声も聞こえてきそうだが今の俺はそれよりものんびり休みたい。

 ある種の客は『休みの日に限って壊れるんだよねえ』などと言うが修理依頼を受ける側からすればそれは全くの思い違いだ。暦上の休み,かき入れ時ほど良く故障するなんていうのは全くない。事実は逆で,たまたまかき入れ時に故障するという残念な事態に直面した持ち主が肝心なときに使えない悔しさから抱いた錯覚でしかない。
 何故そんな風に言い切れるかというと,例えば俺の商売は一週間のうち日曜日が特に忙しくはないからだ。この商売を20年以上やってきているが日曜日や祝日に修理が立て込んで平日以上に忙しくなった事なんて一度もない。

 推移としては,過去は日曜日や祝日には全く飛び込みの依頼などはなく,一日を静かに過ごせたのが段々平日並みになりつつあるというのが正しい。
 どういう事かと言えばとどのつまり,客が変わったのだ。平たくいえば機材が故障している状況を我慢しなくなった。『今日は日曜(祝日)だから明日,業務が始まってから連絡する事にしよう』とは思わない客が増えてきたという事だ。自分が仕事をしているのだから,それで不都合をかこっているのだから業者も同じように仕事をするのが当たり前だなどと手前勝手な俺様ルールで振る舞うバカ客が確実に増えた。

 いつも俺は客先に言う事がある。
機器が故障して都合が悪いときにいつでも即座に解決したいと本当に思うのであれば,あんたが修理を覚えれば良いのだ。生産工場には例えば工務課とか営繕課という部署があって補修業務選任の社員なり職員なりが常駐している事で設備の稼働が一定程度保たれているわけだからその役割をあんたが担えば良いのだ。
 諸々厨房機器の個体数と,その修理に携わるサービスマンの頭数を考えてみれば,いつでもかつでも機器がぶっ壊れたときに修理屋が間髪入れずにすっ飛んできてその日のうちに障害を片付けてくれるなんて都合のいい話があるわけない。(大体このとき殆どの客は憮然とした面付きで俺を睨みつける)

 話を元に戻す。
昨日,某得意先でも同じようなやり取りがあった。その得意先で何か障害が発生したわけではなく,たまたま見積りを届けにいったついでに某スタッフと会話していたら例の如く,『日曜日や祝日には良く故障が起きて云々かんぬん』という言い回しが出てきたので上に書いたような話をした次第。

 「それであんた,今年の正月は一体いつまで休む気でいるんだね」と,その某氏は尋ねてきた。
日頃,物品購入の商談みたいな話題だと俺には鼻も引っかけないで他の同業者にあれこれ声をかけていい顔をしているくせに修理だとかなんだとか都合の悪い障害があったときにだけ俺に何かをギャランティさせたがる、実にまあ何とも虫がいいと言うか何と言うかふざけた野郎だ。
 「どうせ野良犬稼業ですからね,私は。何か切羽詰まった場面になるまではきっとウダウダし続けているんでしょうな」と答えるとそいつはもう年があけて五日も経つというのにそんな調子でやっていたのでは喰っていけないのではないのかと侮蔑的に言葉を吐いた。

 大きなお世話だ。
 年に一度か二度,都合の悪い場面があった時だけ,それも日曜か祝日とかそんな場面でだけ端金の修理依頼しかしてこないような野郎に何でそんな事まで言われなくちゃならないか。
 将来に不安を覚えるような場面が開業以来確かにあったがそのときこいつが一体俺に何をしてくれたというのか。

 この男に限らず,いつでも都合のいいときにすっ飛んできて問題を解決してくれるような期待を押し付けてくる縁の薄い客に対しては俺は徹頭徹尾ビジネスライクに接する事にしている。
 ビジネスライクとはどういう事かと言えば金次第という事だ。
もっと噛み砕いて言えば,深夜だ,早朝だ,休日だ,という場面では結果の如何に関わらず請求金額を割り増しさせていただきますということだ。50%の割り増し請求をさせていただく,それでも良いか,と事前に念を押すと大体の客は人の弱みに付け込んで暴利をむさぼる悪徳業者とか何とか悪態をついて電話を切る。
 修理代が割り増し請求されるとなるとあっさり諦めるw
 困っただとか緊急なんだとか抜かすが所詮その程度の困り方でしかないw

この商売の困った点の一つは,客先が感情論だけで物事を決めるとこにあると常々俺は考えている。
困った話だが,これから先もそれは変わる事はない。 
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クソ居酒屋 [困った客]

 ここの所しばらく,数日ごとに俺のところにファクシミリを送信してくる居酒屋がある。
宴会でうちの店を使ってくれという事だろう。屋号は『うまいもんや 長之助』という。
どうせ出来合いの冷凍食品ばっかりのくせに何が『うまいもんや』だよ、このバッキャロー!

http://www.okamoto-group.co.jp/05foods/50110dt-chounosuke-otofuke.html

 俺のファクシミリは以前書いた通り,インクジェット式の安物複合機だ。そしてここから送られてくるファクシミリは白抜きのでっかい文字が多いので送信されてくるたんびに目に見えて黒インクを激しく消費する。
 迷惑な話だ。
この送信文書にはふざけた記述項目がある。
紙の隅っこに空欄があって,今後送信して欲しくなかったらこっちのファクシミリ番号を書いて返信しろとの事だ。人様のトナーだかインクだかを勝手にばかばか消費させておいて余計な金を使わせた上に,送信されたくなかったら電話料金もこっち持ちで連絡をよこせとは空いた口が塞がらない。
 このクソ居酒屋の経営元はこんなやり方を営業努力だとでも思っているのか。戸別訪問でチラシを撒いてる商売の方がまだ幾らかマシなくらいだ。俺は意地でも行かないぞ,こんなクソ居酒屋。

 『うまいもんや』というのはナショナルチェーンのようだ。
直営,FC、それぞれあるのだろうが俺の生息地にあるのはFCで経営元はオカモトグループという。

http://www.okamoto-group.co.jp/index.html

 飲食店経営は色々とやっているようだが俺の職業上はさっぱり縁がない。
以前,俺が会社勤めをしていた頃、事務所に営業にお伺いした事があったが門前払いを食らってそれっきりだ。

 仕事が貰えなかった腹いせで書くわけではないが,こうやって何の面識もないところに当てて,恐らく電話帳や何かの名簿をたよりに手当たり次第にファクシミリで何かの営業案内をしてくる業種と言えば,ねずみ講みたいなネットワークビジネスとか,闇金とかいった商売が共通する。
 それらと同じ程度のセンスで動いている会社ってことだなw

 このクソ居酒屋を経営するクソ会社については随分色々とよからぬ噂を聞く。
HPを見れば簡単に察しがつくが,馬鹿な貧乏人から小金を巻き上げる商売ばっかりをあれこれ手広く営む会社ってことだ。
 働いている人間たちもおそらくは安い給料でこき使われてルーチンワーク以外はさっぱり気の回らない連中ばっかりなんじゃないだろうか。
 しかしまあ,安い給料で若い連中を長時間こき使って居酒屋経営(使われている連中もバカばっかりなんだろうが)し,一方で年寄りの懐を狙って介護サービスってこれ,まるっきりワタミのローカル版じゃないのかw(どうせそれもパクリだろう)
 悪い奴、冷酷非常な奴の思いつく事っていうのは大体似たり寄ったりってことなんだろう。 
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製氷機リサイクル [困った客]

 長らく出入りさせていただいている某産婦人科病院のNCにある製氷機をリプレースしたのは先月の末頃だった。稼働歴は15年,俺が会社員だった頃に納めさせていただいた機体だ。
 近年は修繕費がかさみ始めているのとフレームの錆が目立ち始めて氷に付着するのが気になるのでリプレースと相成った次第。

 ここしばらくはリプレースの際に処分費用の請求項目が受け入れられるようになってきたのは業者としては助かる。ただ,整備して再稼働できそうなコンディションであれば元の持ち主にとっては幾らか出費を抑える事も出来るわけで,先方の事務長と交渉した結果,古い機体は整備再販を前提として処分費用の請求は行わない事でご了解を頂いた。

 国内製の業務用厨房機器などどれも大した出来ではないと俺は日頃から悪口雑言を吐いているが製氷機は数少ない例外だと思う。以前は電機メーカーが独自仕様の製品を販売していた時期もあったが現在継続生産しているのは3社に絞られ,製氷の仕方がセル方式でありさえすれば品質も横一線でどこのメーカーを選定してもハズレはない。
 正しくはもう一社,福島工業製というのがあるが日頃俺は見かける事はないし触った事もないのでここでは枠外。

 整備対象の機体は大和冷機製で手を入れ易い。作業内容は
1:給水電磁弁の動きが良くないので作業場に転がっていたホシザキ製に組み込まれていた中古品に取り替え,外寸が合わないため一部取り付け加工。
2:コンデンサーの清掃(これくらいは当たり前)
3:氷の下端が繋がり,出来上がりの形状が良くないため製氷室と水皿のクリアランス調整(これは結構時間のかかる作業)
4:本体給水接続口から電磁弁に繋がる給水管が潰れて給水量が少なく,空気が混入する白濁氷となるので大和冷機からパーツを調達しようとしたが生産終了後10年以上も経っているので補用パーツのストックがなく,現行品との互換性もないのでご勘弁という返事が返ってきたのでステンフレキを細工してこのパーツは自分で作った。

 他にもあれこれ手を入れ、試験してみると結構いい氷が出来るようになったのでしばらく自分用に使って悦に入っていたのだが、貧乏なのでやっぱりどこかに叩き売って小金に換える事にした。
 小金に換える,とは言ったって買い手の心当たりがないし幾らの値段をつけていいのかも見当がつかない。たまたま先月から手がけているパティスリーの新築現場でどこかから中古の製氷機を探してくる約束をしていたので,施工管理費用に少し色を付けてもらう事にしてブツ自体はタダで差し上げる事にした。

 現場で接続工事を済ませて試運転をしているとなかなか好調な動きだった。『おお,結構使えるじゃないか』と自己満足に浸っていると三角に吊り上がった冷たい目つきのメガネ男がいかにも何か文句を言いたそうな顔つきで俺に近寄ってきて排水の蛇腹ホースが汚いのがけしからんと唸り出した。
 蛇腹ホースなんていうのは機体の裏側に出てきているもので客の目になどつくものではないので汚れていようが一向に構うもんか,氷が出来るんだからそれでいいじゃねえか,と,俺は適当に考えていたのだった。
 メガネ男は機体が薄汚い事が大いに不満らしく,まるで中古品みたいじゃないか!と喚いた。それで俺は,いや,仰る通り,これは15年動いていた廃却品を整備して使えるようにしたものなんですけどね、と答えたがその人物のボルテージは一向に下がらない。
 「いいですかっ!中古品なんだから汚くたっていいだろうなんていう了見で商売をしようなんて大間違いですからね!中古だろうがウチはお金を出して買っているんだからそちらもプロとしての誠意を見せてくださいよ!お宅は商売でこの仕事をしていてこれは商品でしょう?!こんな薄汚い状態で商品だなんていえますか!?ちゃんとやってください!ちゃんと!」メガネの若造は物凄い剣幕で一気呵成にまくしたててからぷいとどこかに失せた。

 俺には確かにタカをくくっていたところがあって,これは確かに反省しなければならないがそれにしてもメガネ君の迫力にはたまげた。まるで下男か召し使いに命令する旦那様みたいな調子で、余りにも堂に入っているので頭に来るのを通り越して一種の痛快感さえあったほどだ。
 後で聞いたところではこの人物は大変偉いお方であるらしい。なるほど上から目線の高飛車な物言いがサマになっているはずだと俺は納得したが,どなた様であるかも知らないで『タダで貰ったものの事で何をガタガタ注文をつけやがるか,この若造が!』とそのとき俺が怒鳴り返していたら一体どんな展開になっていたのだろうか。 
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不良顧客を晒す準備 [困った客]

 商売を初めて丸6年経ったわけだがどんな商売もそうであるように俺の商売も全てが円満な取引関係というわけにはいかない。

 とりあえずはいい歳をした大人なのだし一端の職業人でもいるつもりなので人の好き嫌いで仕事のやり方を変えるような事をしてはいけないと日頃肝に銘じてはいるが、人間が出来ている方でもないので頭に来る時はやはり来る。
 どんな業界にも色々な人がいるのは当然で,人格者もいれば性悪な馬鹿者もいる。常識人とそうでないたわけ者の比率というのは大体どんな業界でもほぼ一定ではないかと俺は考えているのだが,飲食業の世界もまた例外ではない。残念なのは飲食業に於ける非常識な馬鹿者の存在が業界そのもののイメージを代表してしまう事でこれは他の業種よりもそういう印象を与え易いように思う。

 毎月の事だが月末に銀行の残高を確認するときには色々な気分が複雑に交錯する。支払いを済ませて幾分の安堵感を味わい,残高を眺めてこの先一ヶ月をどうやって食いつないでいこうかと悩ましい気分になるなど色々。未入金の客先を発見した時、懐具合が厳しそうだから仕方がないかと気の毒に思える事はあるがこれは例外で殆どの場合頭に血が上る。
 
 大体売り掛けが滞る客のうち、本当に金銭的に困窮して支払いの出来ない人などごく少数である事が俺には既に分かっている。そもそも俺のような商売の売掛金など一般的な飲食店に対しては大体2万円以下,高くて3万円程度であってこれを超えるようなケースは大変少ない。ローンの支払いや公共料金でもないのだから継続的な出費でもない。いざとなればカードローンのATMから現金を引き出して支払いに充当する事だって別に無茶な行いではないはずなのだ。現に俺は自分の商売が苦しかったとき(今でも苦しいが)にそのようにして支払いをしのいだ事だってある。
 しかしある種の飲食店経営者はそういう事をしない。俺の以前の同級生があるとき,回収で始末の悪いのは本当に金のない奴ではなく,あるのに払おうとしない奴だと言っていたがこれはかなり物事の核心を突いている。頭に来るのは金の支払いはすっとぼけているくせに夜になって自分の経営する店が閉店した後にはいい格好をして女連れで飲み歩くような不届き者がいる事だ。
 俺の住む町は狭い。
 こういう場面を目撃した事やそういう伝聞を耳にした事だって結構あるのだが,何やら多いに暴力的な気分が沸き起こってくるのは俺がさほどの人格者ではない事を表している。

 昨日はそのような事があった。
 どうせその男がこのブログを見ている事などないのだろうが,これまで散々ふざけた真似を働いてきた野郎なので,今月いっぱいのうちに入金がなければその男のありようやその男の経営する店舗の事を実名で晒して思いっきりこき下ろしてやりたい気分に今の俺は駆られている事を白状しておく。
 
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白衣の着用に抵抗する(1) [困った客]

 自分でもよく考えた事はないが,例えばコンビニのCKだとか『生産工場』規模の施設での作業あたりで入室前にあてがいぶちの白衣を着るときには不承不承従うのだが,いわゆる厨房程度の規模だと何かしら猛烈に抵抗したい気分になる。

 ここ数年,けったいな風体の同業者を施設給食の現場で時折見かけるようになった。作業衣の上から白衣をはおり,軍手をはいている事が多い。俺に言わせればバカ丸出しの格好だ。いかにも無能そうなあんちゃんである事が多く、やっている事をちらちらと横目で盗み見ていても実に要領が悪くて手慣れていない感じの様子で笑い出しそうになる。
 大体膝までありそうな白衣を着て労務作業なんてまともにできるものか,と,常々俺は考えているのだ。そもそも白衣なんていうものは労務作業のために作られたものなのかとも思える。どう考えてもあんなものを着用しての作業はマイナス要因しか生み出さないに決まっている。
 
 病院だとか老人ホームだとか養護施設といった場所の厨房で,作業の際には白衣を着るように,なんていう非合理極まりないローカルルールを持ち出してくるのは俺の知る限り現場のバカな栄養士の発案による事が殆どであって厨房屋の自発的な行いではない。
 もう一つ言えばこういうバカな栄養士の管理する厨房ほど実は全然衛生的ではなくて薄汚い。当の本人は衛生管理の徹底だとかなんだとか律儀な職業意識を発揮しているつもりなのだろうが現実には大事なところは見落として枝葉末節なところにばっかりギャーギャーとやかましいだけのバカ丸出しだ。

 とある病院に俺は出入り禁止となっている。
薄汚い格好で現れて白衣を着用せずに作業をしていたのがその原因の一つであるらしい。厨房に入室する前に一分以上の手洗いをしなかった事も俺がけしからん人物である理由だとも聞いた。
しかしだ。
 出入り業者にはこんなこうるさい注文やら難癖をつけるくせに自分たちはどうなのかといえばこれが本当に病院の厨房なのかと腰を抜かすくらい汚いのだから笑わせる。
 部屋中カビ臭いし場末のラーメン屋も顔負けなくらい至る所油でベトベトしていているし、グリストラップからはいつも鼻の曲がりそうな腐敗臭が立ち上っている。燃焼器具の下にはこぼれ落ちた食材がひからびて堆積しているし脂が固形化して床の上に山なりだ。
 こんな病院で飯を食っている入院患者が良く腹痛を起こさないものだと俺は妙に感心した。
 実際のところ病院給食で食中毒事故が発生する事例はきわめて少ないのだが、それは別段衛生管理に最大限の注意を払っているからではなくただ単に,一年365日三食毎度毎度ひっきりなしに稼働しているせいで菌の繁殖する暇がないのではなかろうかと俺は勝手に想像している。
 しかし一部のバカな栄養士はそれが自分の衛生管理の賜物だと勘違いしているらしいフシがある。

とにかく,だ。
 出入り業者に白衣を着ろだの爪ブラシを使って一分以上手洗いしてから入室しろだとかくだらない注文を付ける前にお前らが管理する厨房を毎日もっとマメに掃除しろ、この馬鹿野郎が!
 件の病院についてだが、もしも万が一,院内で食中毒事故が起こりでもしたときに管理不行き届きな小汚い厨房の事を棚に上げて白衣を着なかったり手洗いを怠けたりする出入り業者に責任転嫁されたりしたのではたまったものじゃない。管理者である栄養室長とか言う肩書きの人物はそういう事を言い出しかねないバカ女なので、これは決して負け惜しみではなく,俺が現在,その病院には出入り禁止だというのは悪い事ではないのかもしれない。(この項続く)
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少しは予習しろよ!(グダグダ焼き鳥屋シリーズ その2) [困った客]

前回http://tuttle.blog.so-net.ne.jp/2010-02-14の続き

 中古のハムスライサーの問い合わせが出し抜けに来た,というところから話がさっぱり進まずに大きく脱線したのは俺の文才のなさを物語っている。

 問い合わせの主に俺が幾らくらいの予算で考えているのかと尋ねると全く要領を得ない。帰ってきた答えは『安ければ安いほどいい』というものだった。アホか。
 俺は物販を生業としているわけではないが,一般論としてこういう考えで何かを物色している客というのは冷やかしでしかないというのは業種を問わず共通して言える事ではないだろうか。

 一円でも安い買い物がしたいというのならリサイクルショップを回って歩くとかネットで調べてみるといったようなコストカットのための努力はしているのかというと殆どの場合そんな事はない。
 自分は今まで通りの生活をしながら誰かものの言い易い奴に何か探せと伝えれば(この場面では俺だ)もみ手でハイハイ言いながらお望み通りの掘り出し物を探し出してくれると考えているのだとすれば随分怠慢にして横着な姿勢だ。問いただしてみると案の定,自分では何もリサーチしていない。スライサーといったって多種多様だし手持ちのスライサーを売りたいという人にも心当たりがないと伝えると電話の主は
相場ってえものがあるだろうが!

と,怒鳴り声を張り上げた。

ふざけた男だ。

 今まで何度も書いたように俺もさほど人間が出来ている方ではない。こういう場面ではついつい売り言葉に買い言葉になる。俺は雑品屋じゃねえ!安い買い物をしたいんだったら自分で勝手に探せ!と怒鳴り返すと相手が少し怯む様子が電話から伝わってきた。
 俺の考えとして,お客様というのはこれから金をくれる人の事を指している。冷やかしは客ではない。ましてや繰り返すが,俺の本業は物販ではない。この男に限った話ではないが,厨房屋というのは言えば何でも愛想笑いをして言いなりになる便利屋だと思い込んでいる奴は多い。自分の知人がその範疇だという事実には大変残念なものがある。

 最初っからこんな調子でこれはもう,商談以前のレベルだ。
そもそもこの男は一体,何が欲しいのか?繰り返すがスライサーと一口に言ったて大から小まで色々だ。それに加えてどうにも不審な事があった。oms-930c.jpg

 冷蔵庫やガステーブルではない。仮に卓上タイプのハムスライサーとはいってもそれはどんなキッチンにでもあるという機材ではない。精肉店であれば当然一店舗に最低でも一台は必ずあるが精肉店の食肉機材くらい中古品の放出がない業種もまたないのだ。
 加えてこの人物は和食畑の人だ。通常一般、和食の下ごしらえでスライサーだとがミキサーだとか言いった電動式の調理機器を使う事は殆どない。あるとすれば宴会場や旅館などでの大量調理であってこのお方の本業である個人経営,数十席規模での調理業務でスライサーが必要になる場面はないと言って良い。

 俺は人が良い。知らない人物ではないので無料コンサルタントを請け負ってやったのだ。
何故スライサーが必要なのかと問いかけると手で切るのが大変だからだという。そもそも貴殿の職種でスライサーを使う場面などないではないかと言うと,いや,実は欲しいのは俺じゃないんだという答えが返ってきて力が抜けた。どういうお仕事をしている方がどういう事に使いたくてそれを欲しがっているのかと更に尋ねると言えないという。
 それなら話はここで終わりだ,勝手にせい,と切り上げようとしたらその男は小出し小出しに渋々話し出した。(以下続く)
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少しは予習しろよ!(グダグダ焼き鳥屋シリーズ その1) [困った客]

 ある素人ではない知人からかかってきた携帯電話を取るとスライサーの問い合わせだった。
中古品のスライサーは幾らするのかと出し抜けに尋ねられた。イヤな投げかけられ方だ。この御仁は自分がどれほど曖昧模糊とした質問をしているのかが自覚できていない。頭の中のスイッチが切り替わる。

 スライサーといったって用途によって選定は色々変わる。要領を得ない相手の意図を探っていくとどうやらハムスライサーの事を言っているらしい。
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写真は大道という三流メーカーの製品。調理師がキッチンで間に合わせ的に使うのならともかく,精肉店などの本職がこういうメーカーを選定する事は,俺の経験上ではない。

 それはさておき,俺は大体こういう『中古の○○を知らんか?』などというふざけた問い合わせには取り合わない事にしている。大体,問い合わせをしてくる輩にしたところで自分がどれだけ失礼な事を尋ねているのかが分かっていない大馬鹿者だ。
 まず第一に,俺は雑品屋ではない。雑品屋という呼び方が失礼ならリサイクル屋とでも呼んでおこうか。いずれにしても俺はその手の業者ではない。
 リサイクル屋を蔑んでいるわけではない。俺の本分はクライアントを抱えて食品機械の修理を行う業者なのであって廃却品の買い取りなどした事は開業以来6年の間一度もない。
 どうにもこうにも修繕のしようがない機体についてリプレースを勧める事はある。しかしその時,機体はどこの誰が視てもアウトというコンディションであって稼働時間が20年以上にもなっている事ばかりだ。実際のところ,これはウソでもなんでもないが俺の住む土地で,俺がバンザイした故障機の事でその後他の同業者がそれを修繕して使えるようにしたという話などただの一度も聞いた事がない。
だから俺の担当するクライアントのところからはリサイクル屋に並ぶ商品が出てきた事はない。必ず再使用できそうなパーツを抜き取られた後に廃却だ。よって,俺の普段のお仕事からは中古品という商売ネタは出てこない。あるとすればせいぜい,調理のオペレーションやメニューが変わるので使用しなくなってしまったという事くらいだがそれにしたって撤去費や廃却費が勿体ないからそのままそこに置いておくという事ばっかりだから、それが減価償却の済んだ固定資産であればタダで持っていってくれとかいった具合だ。

 しかしまあ,世の中には非常識なバカが多いというか目先の金に目が眩んで失礼極まりない事を抜かす奴がいるものだ。
 以前,俺が会社員だった頃,「中古の○○はないか」と,名前も名乗らずに横柄な調子で電話をかけてよこしてきたバカがいた。名前を名乗らないというこの事だけでも既に非常識な馬鹿野郎なのだが,そのとき俺が中古品は扱っていない旨を伝えると,この馬鹿者は馴れ馴れしい調子で潰れた店で要らなくなったものが出てくる事ってあるじゃないかと抜かしたので俺は頭に血が上ったのだった。
それはどういう事なんだ?うち(当時の俺の勤務先)と取引をする店は潰れるって言う事なのか?!」  

と,怒鳴り上げると初めてこのバカは自分の物言いの非常識さに気づいたようだった。いきなり口調がですます調に変わって失礼致しましたとか何とかしどろもどろで電話を切った。

 これまで何度も書いてきたが,厨房機材だの食品機械だのにはビンテージなどないし,こんな機材のコレクションを趣味にしている人がいるという話も聞いた事はない。プレミアも趣味性もない物体だ。
だからいつもおれは、頭ごなしに中古中古と喚き立てる奴を相手にするときにはいつも同じことを言う。(まず,『俺はリサイクル屋ではない』という枕が振られるのだが)そして・・・

 あんたは中古品が欲しいのではない。金がないのだ。貧乏人なのだ。金がないのだったら最初っからものなんか買うな!手持ちの冷蔵庫の容積でやりくりするオペレーションを考えろ,皿は手で洗え,ソースは手でかけ,煮炊きの調理は勘と経験でやれ,当たり前の話ではないか。それで一体何の不都合があるか。金のない奴が背伸びをして,機械だらけで過剰設備の厨房をこしらえて、その後運用されるようになってから,あんたはその設備の修繕費を捻出できるのか?修理代はタダではないのだぞ! (この項続く)
 
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ヤー公経営の回転寿しで一悶着(その1) [困った客]

 久々の更新。
特段タイトルにあった件で一身上の都合があったわけではなく,単に俺が怠慢なだけの事だ。

 考えてみるとこの稼業についてから20年以上経った。
厨房屋の得意先には飲食店が多く、零細自営業の俺もまた例外ではない。
飲食店という業界は、初期投資が少なくて済むせいもあって新規参入しやすい。小金持の副業にはもってこいと言える(ここは最早過去形で語らなければならないと今は思うが)
だからお客様にはいろんな素性の人がいる。そこにはヤクザも含まれる。

 ヤー公がらみの悶着は結構あった。いちいち書ききれないくらい沢山あった。
おかげで俺も随分鍛えられた。
 ヤクザ系統の客先で頭痛のタネと言えばやはりカネにまつわる事象だ。よくあるパターンとして,最初はやけにスンナリとカネの落としどころが決まる。(発注額の事だ)
 それから納品や施工の段階で難癖を付けられる。この時のあら探しの子細さと執拗さは全くもって尊敬すべきものだ。良くもまあ短時間でこんなに色々といちゃもんをつけられるものだと尊敬さえしてしまいそうなほどだ。

 それから大げさに被害者ぶってみせる。とてつもない巨額の損害を被って金銭的にも社会的にも立ち直れないほどのダメージであるかのごとくがなり立てる。国同士の戦争でもそうであるように,喧嘩をふっかけたい奴はまず,些細な出来事を大げさに騒ぎ立てて自分がものすごい被害を被ったような喚き散らしかたをするものだ。
 ここでの定型パターンはは取引業者の過去の言質を引き出してきて全くもって我田引水の水掛け論を展開するところだ。録音されているわけでもないし紙に記録されているわけでもない過去の会話の断片を自分に都合のいいように歪曲してまるでその業者が嘘つきか詐欺師のような言いっぷりで迫ってくる。

 それなりに知恵らしいものがこいつらにもあるのだと思わせるのは,この連中は絶対に自分の方からは落としどころを提示してこない点だ。
 値引額とか補償額については自分の方からは絶対に具体的な金額を言わない。業者が提示した条件に対して『ふざけるなよ、この野郎!俺をなめてるのか!』と怒鳴り散らして威嚇し,際限なく更に都合のいい条件を引き出そうとする。 

 業者の側に何の落ち度もなく、すんなり請求書が通れば通ったで悩ましいイベントが待ち構えている。銀行口座にカネを振り込んでくれるのなら大変有り難いが,「事務所に集金に来てくれ」と言われたときには迂闊な真似が出来ない。
 訪問すると事務所にたむろしているチンピラ連中が一斉に睨みつけてくる。何だか禍々しいプレッシャーの中で領収書を切って事務所を出ると駐車していた車の前後に3センチくらいの隙間しかない状態でチンピラのものとおぼしき車が停められていた事があった。
 駐車中の車の脇でご丁寧な事に直々にお待ちになっておられた事もあった。車のタイヤと地面の間につま先を差し入れてタバコをふかし,ボンネットを灰皿代わりにしていつまでも粘り続ける。うっかり車を動かせば足を轢かれたと言ってねじ込んでくる。このときは俺が車に乗り込んでから小一時間ほどへばりついていた。真夏の事だったが俺が腹を決めて窓を全部閉めてドアをロックしエンジンはかけずに汗をダラダラかきながら寝転がっているとしびれを切らして窓にツバを吐きかけて立ち去った。

 とまあこんな具合に全くもって困った人たちなので、ある時期からの俺の方針はいかにしてヤクザと関わらずにお仕事を進めるかだったわけだ。
 歳月が経って俺のお仕事に直接ヤクザとの取引関係はなくなった。しかしながら俺にお仕事を振ってくださるクライアントの方々からの依頼にヤクザ屋さんが経営する店舗でのお仕事がある場合は何とも気が重い。

 言葉ではうまく説明できないが,ヤクザの経営する飲食店にはある共通した空気が漂っているように思われる。強いて言えば何だか暗く冷たい空気だ。温度にして何度℃とか,照度にして何ルクスとかいった物理量ではなくきわめて感覚的なものだ。
 勿論そういった店舗が法外な会計をするとか店員の態度が横柄で威圧的だとかいう事はない。普通に客としてその店を利用する方々に対しては全く害はない。
 但し,ある種の出入り業者に対しては鬼門である。(と,ここ迄は長い長い前置き。以下続く)

タグ:ヤクザ

業務用の冷蔵庫なんてもはやクソみたいに無価値だ [困った客]

 元の勤務先の後輩が連日冴えない顔つきで色々とぼやく。このご時世だからしてぼやきたくなる気持ちがわからなくもない。

 先日聞いたのは業務用冷蔵庫の実売価格についてだった。もう、逝くところ迄逝っているらしい、市内某ホテルで最近リプレースした件ではなんと標準価格の15%で納入されたとのことだった。
 「どうしてこれで不当廉売が社会問題にならないんでしょうかねえ・・・」と、溜め息まじりに後輩がこぼす。

 売る方も売る方だが買う方も買う方だと傍観者の俺は思う。高ければいいとは言わないが標準価格の15%だ。仮にもプロユースと銘打った製品が家電製品の冷蔵庫よりも安いのだ。買う方でいくら何でもこれで大丈夫なのかと思うことはないのか。

 まあ、バイヤーというのは本当に馬鹿者ぞろいでこんな疑問さえ抱くことはない。結論から言ってしまえば国内製の業務用冷蔵庫などという物体はこれまたそろいもそろってお話しにならないゴミばっかりで工業製品としてはどれも終わっている。繰り返して書くが日本製の工業製品は世界に冠たる品質でとかなんとか言う自己陶酔みたいな評価は全面的に正しいわけではない。少なくとも業務用の厨房機器はそのようなものではなく、世界に冠たる評価などからはほど遠い品質である。国際的な競争力など全くないのが現実である。事実、狭いこの業界にあって製品の輸出業務が大きなウェイトを占めているメーカーなど一つもない。各社やせ我慢のダンピングを繰り返しながら国内需要を奪い合っていることしか出来ずにいるのが実情だ。
 バイヤーは馬鹿ばかりなので国内製がその程度のものでしかないことを知らない。知らずに安物買いを続け何やら得をした気分になって舞い上がっている。いくら値引きさせたかを滔々と自慢する。そのくせ、何かのおりに故障が発生するとやれPL法がどうの、やれ品質管理がどうのクレームどうのと一端の文句だけはたれる。そして修理代が高かっただの何だのと誰彼かまわず不平をぶちまける。一体その冷蔵庫を幾らで買ったんだよ、とにかく幾らであろうが納めるだけは納めておいて後からきっちり規定の修理代金をいただくことで納入時の薄い利益をカバーしようとする目論見を持っているかもしれないくらい事前に見抜けなかったのかよとたしなめたくなる馬鹿が大変多い。

 テクニカルな観点から言えば、もはや業務用冷蔵庫などまともに5年動くのが不思議なくらいの低劣きわまりない品質であって、噴飯ものを絵に描いたような愚劣な物体である。
 例えば冷却器、ここからガス漏れを起こす業務用冷蔵庫は大変多い。夏になれば凝縮不良を起こしてあちこちでてんやわんやの騒ぎが頻発する。いつになっても解消されない、全く馬鹿げた現象なのである。

 例えば家庭用の冷蔵庫だ。冷媒が漏れたり、真夏日に冷えなくなったりするケースなど一体どれほどあるだろうか。ほとんど皆無と逝っていいのではないだろうか。
 ペンギンマークの営業たちなどはあるいは「一般家庭と業務用の厨房では周辺環境や稼働条件が違うので云々」と弁解するかもしれないがそれは嘘だ。業務用の冷蔵庫は、一般家庭に持ち込んで一般家庭と同じ使い方をしてもやっぱり簡単にぶっ壊れるのである。出来が悪いのだ。お粗末な物体なのだ。

 ガス漏れをよく起こす冷却器は家庭用であればアルマイトパイプを折り曲げたシームレス構造であるが業務用は未だに銅管を溶接してエポキシなどにどぶ付けした原始的な製法から脱却できていない。溶接箇所は酸化しているのでガス漏れは起こりやすいのだ。しかも一つの冷却器に溶接箇所は何十とある。
 フロンガスを周囲の空気と熱交換して液化させるコンデンサーで言うと家庭用は筐体の断熱材の中にこれが埋め込まれている。一方業務用は冷却器同様銅管を溶接したものがよりによって箱の上にドカンと置かれている、周囲温度は高く、オイルミストの飛散する場所に敢えてわざわざむき出しで置かれているのである。まるで自ら進んで故障を望んでいるかのような実装ではないか。しかも毎年毎年、これが原因で真夏日になると障害があちこちで頻発し、てんやわんやの事態が起こるにもかかわらずこの20数年、この馬鹿げた実装を改めようとするメーカーは一つもない。全く学習能力に欠けるバカの集団としか言いようがない。

 故障に直面して修理の依頼をする持ち主だってこんなアホみたいな出来事に疑問を持つことはないのだろうか。自宅の冷蔵庫のことを思えば一つや二つのギモンくらい持って当然ではないのか。前述したような厨房屋の弁解に丸め込まれているのだとしたらやっぱりそいつはバカだ。

 最近、色々な業務用冷蔵庫のメーカーは省エネだのエコだのと喚き散らしてインバーターで制御されるコンプレッサーの載った冷蔵庫を宣伝しているがこれだってお笑いぐさもいいところで、家電製品の冷蔵庫などは一昔以上も前からそんなのは当たり前の実装である。何を今更と笑いたくなる。しかも聞くところによれば某メーカーなどはそのインバーターの出来が悪くてクレームの嵐だそうではないか。家電製品だったら新聞沙汰の大事件である。
 業務用の冷蔵庫でこれが社会問題にならないのは、マーケットの規模が小さすぎるので話題性に欠けるのともう一つ、関わっている製造元や営業社員、更にはこれを嬉々として大幅ダンピングで購入するバイヤーやユーザーたちが揃いも揃って大馬鹿者だからだ。自分たちがいかに低劣きわまりない粗悪品を製造販売しているのか、更には自分達が家庭で使っている冷蔵庫よりも30年近くも古臭い設計思想であるうえにほとんど偽装としか言えないような品質管理しかなされていないクソ製品を掴まされていることを鼻くそほども疑わないのだ。本当にバカにつける薬がないとはこのことで、いつまでもバカに迎合し続けていたのでは業務用冷蔵庫などゴミの製造業と殆ど同義ではないのかw
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儲からない夏と確信犯ども [困った客]

 元々読む人も殆どいないブログなわけだが、それにしても更新をさぼりがちだ。
ブログなど書いたところで一円の得になるわけでなし、生来の怠け癖もあってだんだんやる気がなくなってくる。

書くことがないわけではない。結構沢山ある。あるのに書きたくないのはうんざり来ることが多すぎるせいだ。
たとえば、売り掛けの焦げ付きだ。

たちの悪い客は増えたぞう。
機器を買う金がないというのはわかる。確かにそういう人たちは増えた。しかし修繕費の捻出が出来ないというのはどんなものか。高い金を出して買った機材が壊れてもいいのか。仕事に支障は出ないのか。

商売を初めて4年が過ぎた。世間の景気は悪化する一方だ。だんだんひどくなってくる。
食品に関わる商売で言うと、食材屋と修理屋に支払いが出来ないのは相当経営がおかしくなっていると見て良い。
水道光熱費は多少の待ったが効く。パートやアルバイトの人件費も或いは泣き落としで何とかなるかも知れない。しかし食材屋と修理屋の買い掛けは営業そのものが成り立たなくなる恐れがあるから支払いの優先順位は結構高い、はずだった。

 ここで「はずだった」と書かなければならないあたりにここ4年くらいの移り変わりを感じる。
やる奴がいるのだ。買い掛けの踏み倒しやらジャンプやらを平気な顔でやる奴らがウジャウジャ出てきたのだ。
俺がこの業界に入り立ての頃、25年くらい前にも確かにそういう奴はたまにいた。脱サラで始めた喫茶店とか夜中の水商売みたいな業種に比較的多かった。少ない運転資金で始めるのでショートしやすいのだ。
 しかし最近では結構立派な門構えでいながらやらかす奴が増えてきた。以前に比べるとこの辺は本当にあてにならない。頭が切り替わらないのでついつい引っかかる俺が大馬鹿者なだけなんだが。

 ここで腹いせ混じりに一発、
マリンボーイ!ちゃんと修理代払え!寿司レーンのコンベアーが止まっても直してやらねえぞ!

大体この手の客は確信犯であることが多い。金など最初っから払う気がなくてどこかの業者に一回依頼する。業者は売り掛けを回収できないうちは次の仕事を引き受けない。それも承知なので次に障害が起きるとまだ懐具合の見当がついていない別の修理屋に依頼が持ち込まれる。そんな具合にして、その街の修理屋なみんな一回ずつババヌキのババを引かされる構図である。

 俺は今回回転寿司のチェーン店2軒にそれぞれ一件ずつ引っかかった。金額は合わせて大体5万円。そのうち一件はパーツ代の仕入が2万5千円くらいあるから労務だけでな金銭上の実害がある。
 一軒は寿司搬送の高速レーンに不調があった。もう一軒はお茶を取り出すための給湯ラインで循環ポンプがいかれている。

 多少金回りが良かった頃は些末なことで怒鳴り声を張り上げてこれじゃあ商売にならないだとか何時に来られるんだだとか散々威張り散らしていたくせに金に詰まって修繕費が払えなくなり、買い掛けを踏み倒すと途端に頬被りを決め込んで店舗機材などどんなに無茶苦茶なぶっ壊れ方をしてもほったらかしでとにかく遮二無二営業はする。
 
 そのうちきっと、コンベアーの回転しない回転寿司が現れることであろう。回転寿司の寿司レーンが回転していないのではシャレにならないが本当にそういう店はいずれ現れる。貧すれば鈍とはこういう江面のことを指すのだろう。これは予言しておく。
金はないけどとにかく故障品だらけでまともなオペレーションが出来ない店舗でも営業しないと金は入ってこないのだからもう末期的というか切ない構図だわい。

 腹いせ混じりのうそこメーカー。今回は回転寿司のマリンボーイ編。
マリンボーイ.gif


マルゼンさん、うまく売り抜けられて良かったですね、本当に。
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能書きの多いラーメン屋にはロクな奴がいない その3 [困った客]

昨日の続き http://tuttle.blog.so-net.ne.jp/2008-05-01

 「作り手」という自称の仕方に俺はひどく引っかかりを感じるのだ。職業蔑視ではない。どうして「店主」とか「調理師」ではなくて「作り手」なのか?

 立場を俺自身に置き換えてみる。
俺は厨房のレイアウトプランを行い、調理のオペレーションを想定し、現場の施工管理を生業とはしているが厨房設備の「作り手」なり『造り手」とか、はたまた更に勿体をつけて「創り手」などと自称する気にはなれない。何だかいかにも気負い立った感じ、匠の技(別にそんな高尚なものは俺にはないのだが)を何たらかんたらとかひけらかしたがっているようなこれ見よがしの姿をこの言葉から感じるのは俺だけだろうか?
 自分自身について言えばかれこれ25年この稼業を続けてきたことになる(こらえ性のないこの俺がよく続いたもんだ)。職業人として一通りの経験は積んできたとか苦労してきたとかまあ万感こもごもであって、ひとまず職業人としての矜持はある。
 しかしプロとしての信念を開陳するとか、仕事上のうんちく話だとか個人の思い出話やら経歴やら、そんな暑苦しい話題は誰彼構わずするものではないだろう。世間の誰もが認める大物ならば会費を徴収して講演会でも開いて存分に語ればよろしい。或いは近親者の間でする類の話題がこういうものではないかと思う。

 調理師、という職業の方々とは当然色々と面識はある。中にはなかなかに物凄い経歴の持ち主の方もおられる。だが俺の知っている限り、そういった物凄い経歴の方々は特に、「作り手」などと気負い立った自称の仕方をすることはないし、こちらが水を向けない限り過去の出来事をべらべらとまくし立てたりもしない。若い頃から辛い下積みを続けてひとかどの職人になった人は大体、訊かれてもいないのにうんちくを傾けたり能書きを垂れたりはしないものだと俺は考えている。
 言い換えれば、人に訊かれてもいないのにあれこれ能書きを垂れたがる職人には大体大した奴がいない。これは断言してもいい。

 ここで再び俺の立場で言えば、思慮の足りないプランの仕事がしにくいキッチンを幾ら言いつくろったところで使いにくいものは使いにくいように、幾ら能書きを聞かされたって旨くないラーメンが旨くなってくれるわけではない(件のラーメン店がまずいと言っているわけではありませんよ)。当たり前の話だが職人は、というかプロフェッショナルというのは結果が全てだ。
 更に、しつこく繰り返す。食べ物というのは幾ら美辞麗句で飾ろうがきれいな写真を撮ろうが旨いかまずいかなんていうのはそこからは伝わってはこないのだ。加えてこれも繰り返すが、おいしいものを作っている飲食店だから商売として成功するとは限らない。これは本当に、気の毒なくらいそうとは限らない。作った料理のおいしさが評判を呼んで商売繁盛なんていうことは現実的にはほとんどないと言っていい。

 料理を作るにせよ、スパナやドライバーを操って機械をいじるにせよ、それらは世間のそこら中で素人玄人を問わず誰もがやっていることだ。そんな中にあってプロとは、プロフェッショナルであるということはどういうことなのかと俺は件のラーメン店主の「作り手」なんていう気合い満点の自称の仕方に刺激されてその時改めて考えてみた。
 まずはお仕事のひとまずの結果である旨いまずいの件について俺が想像するには、例の店主様はどうもとびきり旨いラーメンを作ることがプロとしての責務と考えているらしいフシがある。それはそれで結構なことだ。メニューに書かれた能書きを子細に読むと化学調味料は使っていないだとかどこそこ産の霊験あらたかなる岩塩を使っているだとかいった能書きが満載だ。

 ハイ・クオリティを目指すのは確かに一つ、プロとしての好ましい姿勢ではあると俺も思う。だがもっと重要なことがある。100点満点の120点を取れる可能性を追求するよりも、どんなにハンディの大きな条件下にあってもほぼ確実にに80点以上はキープできるというところがプロのプロたる所以だと俺は考えているのだ。
 抽象的な例えではあるけれどそれは芸術家と職人の違いと考えてもいいのではないだろうか。おれは「作り手」という自称の仕方にやたらこだわるが、それはどちらかというと前者のニュアンスが強いように思う。なんつーか、窯から取り出した焼き物をしかめつらしい顔つきでひとわたり睨み付け、「ううううううう〜む、ち、違う!」とか喚き散らしてせっかく出来上がった皿やら茶碗やらを片っ端から叩き割る陶工みたいな、「作り手」というのはなんかそういうイメージなんだけど、俺には。
(この項、更に続く)
 

 





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能書きの多いラーメン屋にはロクな奴がいない その2 [困った客]

 景気が悪い。
ガソリンをはじめとして身辺の何もかもが値上げで生活は大変だ。食材も例外ではない。ガソリンの節約は、私用でクルマを運転する状況については外出を控えたり自転車や公共交通機関を利用すれば何とか埋め合わせはつくのだろうが人間様の燃料である食事についてはそうもいかない。景気が良かろうが悪かろうが人は必ず一日三度は腹が減って飯を食うように出来ている。

 ある日近所のスーパーで、一袋5個入りのインスタントラーメンを198円で売り出していた。たちまち売り切れたがこれに群がる面々はそれこそウンコにたかるクソバエのごとくそれこそ死にものぐるいで恥も外聞もなくラーメンの袋をわしづかみにしては
買い物かごに放り込んでいた。欲目を出して何袋もかごに放り込み、会計のレジでパートのレジ打ちオバサンに「あのう、お一人様お一つになっているんですけど」とつっこみを入れられてばつの悪そうな憮然としたような顔つきをしていた客を何人か見かけた。
浅ましい姿には違いないがある種切実さも感じられる光景だ。

 ところでラーメンと言えばラーメン屋の凋落が目立つことは以前にも書いた。大体ラーメン、それも専門店のラーメンなどというのは脱サラだとか何だとか言った経歴の人物が見よう見まねの徒手空拳でひねり出したものが大半であって言ってみれば思いつきの産物であることが大変多い。その程度のものがテレビや雑誌で喧伝されるのはやはり不景気だからだろう。元々料理としては実に底の浅い代物でしかないラーメンをまるで一種芸術作品のように持ち上げまくったメディアやそれにつられたバカな一般大衆のラーメン騒ぎもそろそろ落ち着いてきたようにも見える。
 ついでに言うと俺個人の嗜好で言えばラーメンはやはり系統を踏んだ中華のコックさんが作る物が好きだ。専門店のラーメンにありがちなギトギトと脂ぎったあれを食うと半日ほどおなかにもたれて胸焼けがする。歳を取ったせいもあるのだろうが毎日食べてもいいとはとても言えないし、そういうものが外食のメニューとして長い命脈を保てるとも思えない。

 というわけで曲がり角を迎えたラーメン専門店だが諸物価値上がりの煽りを受けたせいもあって経営は厳しさを増しているところも少なくない。中国製毒入り餃子の問題とかチベットのこととかが追い打ちをかけてとかなんとか、日本国のメディアは足並みを揃えて中国のネガティブキャンペーンをがなり立てることに余念がない昨今なので中国を連想させるものは全て悪いものだという認識が日本国のバカな一般大衆には刷り込まれつつあるようだ。
 ラーメンなどという食い物は日本在住の中国人が発案した所謂折衷料理、創作料理であって厳密に言えば中国料理ではない。ではないが一般大衆にとってはそんな来歴はどうでもいいことであって餃子は食わないがラーメンは以前ほどではないにせよそこそこ食いに行く。行動様式として矛盾が見えるし愚かだとも思うが大衆というのはそういうものなのだろう。

 餃子の一件が余程気になるのか、俺の知る某ラーメン店は売り上げが低下したのであれこれと対策を講じている。
ある日俺は、大変失礼ながら旨いものを作っているから商売が繁盛するとは限らないと具申したことがあるが馬耳東風と聞き流された。店主は大変能書きの多い男で(その割に彼の作るラーメンを俺はさほど旨いとは思わないのだが)典型的な脱サラオーナーである。俺の見るところでは調理のプロでもないし経営のプロでもない。
 はっきり言っておくが旨いものを作り、旨いが故に商売繁盛するというのは余程ついている店主だ。かなりの幸運と言っていい。旨いものを作ってさえいれば商売は成立するはずだという考えは幼稚なアマチュアイズムだとも言える。

 そもそも、ラーメンというメニューの市場性自体が収縮しつつあるという現状を某店主は何としても受け入れたくないらしかった。叩き上げの料理人ではない彼にとってラーメン以外のメニューに手を出すことは飲食店経営者としてあり得ない選択肢なのだ。今更リーマンに戻れるわけはなく、だからといってラーメンを作る以外に調理師としての素地がない彼にとっては何がなんでもラーメンで食っていくしかなさそうなのだ。切実だよな。

 ここで格言を一つ思い出した。「賢い者は学びたがり、愚かな者は教えたがる」というものだ。
某店主は口角泡を飛ばしてまくし立てた。これまでいかに苦心惨憺して徒手空拳の手探りで究極のラーメンを追求してきたか、雑誌に取り上げられ、客に褒めそやされてきたか、あんな客も来た、こんな人も来てくれた、みんな俺のラーメンをほめてくれた・・・・正直、この手の愚にもつかない身の上話というか自慢話には辟易するのだが無下に打ち切れないのが俺の甘いところだ。

 身の上話のあまりの退屈さに視線をカウンターの方にそらすとメニューが目に入った。もったいぶった能書きが書いてある。それは概略こんな内容だった。
 『当店のスープは、最初は味が薄く感じられるかもしれませんが温度が下がっていくうちにちょうど良く感じられるように調合されています。そもそも人間の味覚というものは・・・・』以下だらだらと説明が続く。能書きの末尾には『作り手』とあった。
『作り手・・・・・』俺は心中絶句した。『作り手』ときたもんだ。店主でもなければ調理師でもない。『作り手』ですぜ、嗤っちゃうよ本当に。

 俺は瞬間、この店主はダメだと思った。こいつは絶対に商売を長続きさせられない。絶対に失敗する。以前、似たような能書きを店にでかでかと貼りだしていたラーメン屋は何軒か見かけたことがあるが例外なくどこも短命だった。この男も間違いなく同じ轍を踏むだろうと俺はかなりの確率で確信した。(以下続く)

 
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そんなに中古が好きか? [困った客]

 久々の更新。悪態をつきまくりの本ブログは大変人気がなく、さっき調べるとランキングは5桁だった。ひどいものだ。

ブログ主であるこの俺のやる気のなさの表れでもあるが、余程つまらない話題ばかりなのだろう。
久しぶりにバカな客の生態を晒すことにする。

 バブルが弾けてからは業務用の厨房機器にも中古市場らしきものが形成された。建物のリニューアルなどによって廃棄されるはずの鉄くずが本来行くべきところには行かずに横流しされているのが実態である。
 業務用の厨房機器の大半は外装がステンレスであるから、上っ面を掃除すると何とか見られる外見にはなる。
しかし中古の厨房機器業者などというのははっきり言って無知の固まりのようなバカどもばっかりだ。
そもそも厨房機器のメーカーにしたってハンチクな手合いがやたらと多いが中古屋となると輪をかけで程度が悪い。多くの場合、中古品なんていうのは外見をきれいにしただけの鉄くずだ。俺が知る限り、中古の厨房機器販売業者が保証期間を設けることはない。殆ど必ずと言っていいほど現状渡し、返品不可という販売条件だ。

 中古品とは言ったって商品は商品だ。そして中古厨房機器販売業者にはその品質に関する自信がない。
いや、自信がないというのは正しくない。彼らにはそもそも、商品としての評価に耐えるだけのコンディションであるかどうかを判定する能力さえないのが本当だ。大体彼らは、外見をきれいにしたあとで通電なり通水なりをして動作確認をとってさえいないことが凄く多い。

 売る方も売る方だがこういう鉄くずに群がるゲスな輩もまた多い。
会社員の頃からそうだったが、「中古の●●はないか」という電話の問い合わせがある時期から増えた。大抵は自分の名前も名乗らない失礼な奴らだ。この手の購入希望者は飲食店の経営者に多い。

 どんな買い物でもそうだが、どのくらいの予算でどういうものを購入したいのかくらいはあらかじめ考えておくものだが、これら飲食店の経営者どもにはその程度の思慮もないことが多い。予算はどれくらいなのかと問いかけると決まって返ってくるのが「安ければ安いほどいい」という返事だ。噴飯ものとはこのことだ。

 何のことはない。中古品が欲しいのではなくて金がないのだ。予算がないのだ。貧乏なのだ。
厨房機器にビンテージなんかねえんだよ、あんたは一体何をかっこつけているんだと俺は最近はっきり言ってあげるようになった。
金はないけどものは欲しいと言うのはばつが悪いから中古品が欲しいなどとお為ごかしを抜かす。金がないならものなど買わなければいいではないか。
 何と言っても嗤うのが「中古の食器洗浄機」という問い合わせだ。金欠の飲食店経営者がなけなしの金をはたいて中古の食器洗浄機を買ったとして、国内製の食器洗浄機などというのは7年か8年落ちともなれば故障だらけである。貧乏経営者は修理代をちゃんと工面できるのか?金がないのならそんなものは買わずに手で皿を洗っていいればいいではないか。

 大体、飲食店経営を長く続けるというのは大変なことなのだ。いつも俺はお客様には言うが修理代だってランニングコストなのである。年がら年中稼動する、しかも仕事に使う機材について金がないから中古品が欲しいなどと虫のいいことを考えるようではそもそも設備のマネージメントを司る人物として落第もいいとこだ。貧乏だから中古品しか買えないなんていう飲食店は、機材の購入計画以前に自分の店の経営状態を案じたほうが先じゃないの?

 この、中古が欲しい欲しい病とも言うべきバカなバイヤーどもはいろんな意味で低劣な人格の持ち主が多く、叩きネタとしては格好の材料なのでこれから先どんどん実例を挙げていきたいなーと俺は考えている。


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サービスはタダではない(1) [困った客]

 サービスとは何かね?というところから話を始めてみたい。
実際、これだけ頻繁に用いられながらこれほどその場その場で都合良く拡大解釈されている言葉もそう多くなさそうに思うからだ。

 学生の頃、就職先の会社名を見ていると「●●サービス」という名前の会社が少なくなかった。ついでに言うと、理工系の学校の場合「●●サービス」に就職する学生というのは成績は中くらいから下のことが多い。大体の場合に於いて「●●サービス」には製造元である親会社があって、出来る学生というのは親会社に就職するからである。

 私が一時期勤務していた●●電機の地方販社で私の職種は「サービス」というものだった。
最初は一体、何をサービスするのかと考え込んだが職務の内容は要するに修理屋である。
 「サービス」として働くようになってからは、当然ながらお客さんと修理代金のことでもめる場面が出てくる。その時お客さんはしばしば「修理代をちっとはサービスせえよ」という内容のことをのたまった。ここでのサービスとは「値引き」のことであるらしい。
 その後転職して、修理だけではなく物販も行うようになった。商談の最中に何か機械の付属品が話題になると「低額でもあるし、このくらいの物でしたら私の裁量でサービスさせて頂きます」と、ごく当たり前に私は口走っていた。ここでは値引きではなく、無償という意味合いだ。

 他にも色々ある。バレーボールのサーブも語源は一緒なのだろうし、よく聞く話としては奉仕という言葉に訳されることもある。身の回りには実に頻繁にこの、サービスという言葉が飛び交っているのだがしかし第一義的に、サービスって一体どういう意味なのと聞かれて答えられる人は一体どれくらい居るのだろうか?

 その後、現在に至るまでとにもかくにも世間的には大人としての時間を過ごしながら得られた答えは、
 「サービスという言葉に、同一の一語で対応する日本語はない」ということだった。これはスポーツとか、プライバシーといった言葉同様、西洋文化圏、もっと正しく言えばキリスト教文化圏でのでの概念であって極東の島国民族の生活意識にはない考え方らしいというところに行き当たった。

 キリスト教文化というのは人と人とが直接接するという考え方をしないものらしい。人同士の間には必ず神が介在するのである。それでサービスとはどういう関係性を現しているのかというと、
 「人物Aは神の代理人として働き、それ故にこれを受ける人物Bは純粋な感謝の念を持つ」ということらしい。キリスト教にはしばしば「愛」という言葉が登場するが、これもそのバリエーションのうちの一つと捉えられなくもない。

 丁寧な言葉遣いでヘイコラするとか、値段をタダにするとかがサービスではないのである。私のお仕事で言えば、故障した機械は持ち主が自分で修繕する、というありようが実は基本なんである。これは詭弁でも何でもない。買った機械はその持ち主の物であって、私の物ではないのは当然だ。そこから生まれる利潤や利便が全面的に持ち主の物である以上、そこから生まれる損失も持ち主の物であって、故障した、老朽化して性能が低下しているという場面でのジャッジもまた最終的には持ち主の判断に帰納されるのである。
 修繕については殆どの場合、持ち主にその能力はない。だから持ち主は自分以外の、何か他の存在に問題の解決を依存しなくてはならない。
 これに応じてくれる他人が世間のどこかにいるということは、神様が機械が壊れて困っている私であるところの人物Bを見守っていてくださるからだ。というのがキリスト教文化ものとでの「サービス」の原初的というか理想的な有り様らしい。

 そういう構図で言えば修理屋もちょっとは居住まいを正してお客さんのところにお邪魔しなくてはな、とは思う。なんせ、「神の代理人」だし。(続く)

 


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何が食育だ!(焼き肉バイキング店に群がる面々を嗤う その1) [困った客]

 昨日(だったかな?)食育云々と書いていたらだんだん腹が立ってきて書き足りないことがモヤモヤと湧き起こってきたのでもう一つ。

 いつだったか、遠方に住む兄が甥を連れて来ると言うことで私の親が夕食は外食にすることに決めた。場所は私の住まいの近くにある焼き肉バイキングとのことだった。

 ところで私はこの、焼き肉バイキングという形式の店舗が大嫌いだ。若い頃、今以上に貧乏だった頃には食欲を満たしたいだけの理由でそりゃもう行った。おなかが苦しくなるくらい食べまくってホールスタッフにイヤ〜な顔をされるくらい食べまくったがある時からは止した。今は何が何でも行くものかと思っている。知人に誘われたときも行き先が焼き肉バイキングであれば断ることにしている。それくらい私はこの形式の店舗が嫌いだ。

 理由ははっきりしていて、浅ましい場所だからだ。愚劣な場所だからだ。およそ人間の食欲を最も下品で不埒な姿で露呈させる場所だからであってそういう獣並みの群衆を目にしながら飯を食う気にはなれないのである。
 私は特段、高尚な食べ歩きの趣味があるわけでもないし美食家でも何でもないただのオヤジだがそれでもああいう場所はダメだ。

 ダメさ加減の第一は何を食ってもまずいということだ。これまで覚えている限り全てそうだがとにかく塩辛く脂っぽい。うまいまずいは所詮主観であってという一般論はここでは通用しない。仮にもこの俺は過去20数年舞台裏に関わり続けてきたいわばインサイダーなんだぜ。舞台裏の仕掛けはわかってるのだ。
 ああいう場所ではとにかく意図的にあたりをきつくする。「あたりがきつい」というのは調理師の符丁で味付けを濃くする、刺激感を強めるという意味である。人の生理として、過度に塩辛いものは味覚を狂わせ、食欲を減退させる。そうすることで沢山食べられないようにする。言い換えると元を取られないようにとあらかじめ考えられているのだ。

 大体、「元を取る」などという客の心理が品性の低さを物語っている。元を取るとは何事か。これは幾らくらい、あれは幾らくらいと皿に料理を取りながら頭の中で計算でもしているのか、外食とはそういうものなのか。
 余程特殊な労さ強度の持ち主でもない限り、人が一度に食べられる食事の量は大体決まっていて一般に350グラムである。健啖家と言われる人でも精々500グラムがいいとこだ。それ以上は不摂生を覚悟の暴食か特異体質か、あるいはプロレスラーや力士みたいな、食べることが殆ど職業でもあるような人々の世界である。
 およそ普通の感覚で食事を済まそうと思えば元など取れるわけがない。

 ああいう場所に行きたがる人物の弁解めいた同機として、焼き肉自体は主たる目的ではなくて、いろいろなフードメニューがあって選り取り見取りであれこれ食べられるからというのがバカの一つ覚えみたいなセリフであるが、笑止であって浅ましいことこの上ない。
 そんなに色々食べて腹一杯になりたいのならコンビニ弁当を3つくらい買って食ってみればよい。そっちのほうが安いしうまい。出来るか?やるか?

 説教臭い物言いは大嫌いだが、食べるというのは第一に生きるためではないのかとサガリの入ったステンレスバットめがけて皿を片手にサンダル履きで突進するたわけた連中を眺めて思う。
1500円を払い、30分も待たされてこういうことをしたいのかと心底軽蔑してしまうのである。(続く)
 

 

 

 


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何時に来られるの?(その3) [困った客]

 しばらくぶりに続きを書きます。

 時間の見通しが立ちにくい割に時間の約束を強いられることの不条理さを嘆くばかりでは何も改善されることはない。
 ここで頭を冷やしてみる。
そもそも、安易に大体何時にお伺いしますなどという約束をする私自身が迂闊なのだ、
実行の可能性が低い安請け合いをして、それが守れなかったばっかりに「時間にルーズな奴」というレッテルを貼られるのはなんだか心外ではありませぬか、と思い至った。というところで・・・

対策その1:午後からのオンコールに対しては時間単位での返答を避ける。
この時点ではもう、今日中に行けるか行けないか程度の精度でしかないくらい、予測不可能なスケジューリングとなっているのである。

対策その2:予測可能な場合でも、1時間程度は幅を持って回答する。
客先は、無人の施設にわざわざ出向いてくるケースは非常に少ない。ある時刻から時刻までは間違いなくその場所にいるのであるから何分単位までの約束をする必要はほとんどないと言っていいのだ。(事故の発生などは当然例外)

対策その3:回答が苦しい場合は嘘でもいいからとりあえず、先約の予定が入っていると答えておく。
こう言われてなおかつ、後回しにされることに不快感を表明するのは、その修理屋に対して余程上得意であるという自意識の持ち主であるか、さもなくば余程面の皮の厚いお客さんですな。結構な確率で渋々納得してもらえることを発見。

 もっとも、こんな対応を続けていると「時間にルーズな奴」のレッテルを免れることはできるかもしれないが、 代わりに「忙しそうでものを頼みにくい奴」というこれまたあんまり有り難くないレッテル貼りが待っている。
 どっちにしても都合通りに動いてくれなければマイナス評価なのだが、今の私としては相対評価として後者の方がまだ幾らかマシだと勝手に思いこんでいる。

 ここで応用編
 以前勤務していた会社の保守業務を、開業後請け負うようになったある時、元の勤務先宛にかかってきた修理依頼の取り次ぎをソリの合わない元上司が担当することになったのでした。
 この上司が実にもう、煮ても焼いても食えない輩で、リスクは全部他人におっかぶせるくせに、他人を踏み台にしていいところは全部独り占めでかっさらうという男の風上にも置けない(とは言ってもこういう奴って結構ありがちだけど)いや〜な奴だったのだ。
 この人物には、場面によっては良さとも悪さとも解釈できるある属性があった。というのは、身の回りで行うありとあらゆる行為に締め切りを設けたがるのである。○×の書類はいついつまでに、●●の報告をいついつまでに、一事が万事こんな具合で明け暮れていたのである。元来暢気者である私にとっては結構これが苦痛だったが、今考えれば生来のだらしなさを矯正してくれたという意味で、彼には感謝すべきなのだろう。私だって一片の感謝を忘れない程度には分別のある大人のつもりなんですよ!
 それはさておき、この人物が生来の奇妙な律儀さを修理の依頼元に対して何時何分に修理にお伺いさせて頂きます、みたいな対応をしまくって私は大いに閉口したのだ。
 それで私は先に書いたような言い逃れを繰り出して、修理の仕事は時間の予測が立てにくい点を考慮して依頼元に対応して頂きたい旨懇願し、曖昧な返答をするようになった。そうすると今度は「大体でいいから何時になるか今回答せい」ときたもんだ。大体なんていう回答にいったいどれだけ誠意が反映されているのかと私は疑問を持ったのですな。それで、「あなたのいう大体というのは俺の言った時刻に対してプラスマイナスでどれくらいの誤差を配慮してくれているのか?」と切り返してみるとものの見事に彼は逆ギレしてしまった(汗) 

 幸いなことに、こんな不遜な振る舞いに及んでさえ、私と元の勤務先との取引関係は継続されている。何とも有り難いことに私は仕事を干されずに済んでいるのである。しかしこれは、修理依頼の取り次ぎをしていた元上司が寛大だったからでも私がその不遜さを補って余りあるだけの有能な修理屋だったからでもない。
 単に、この商売、厨房機器の修理屋なんていう仕事は不人気でなり手がいないので
私程度の技量の者でさえこういう、ある意味理不尽な尊大さを看過してもらえているに過ぎないというのが実情なのである。やれやれ。


何時に来られるの?(2) [困った客]

前項より続き
 とまあ、いろいろと愚痴っぽいことをグダグダと書き続けているわけですが、こういう風に時間の約束に拘束され続けることに対する疑問が芽生え、だんだん成長してきたここ数年でもあったのです。どんなことにでも言えると思うが自分が主導権をとれない状況というのはフラストレーションが溜まる。それであるとき、頭を冷やして、依頼のたんびに投げかけられる「何時に来られるの?」にどうして否定的な気分が湧き起こってくるのかを考えてみたわけです。(こんなことを考える暇ができたのも開業したおかげなんだろうな、と、ひとりごちてみる)
 
 そもそも、依頼元が「何時に来られるの?」と確認しなければならない状況とは何だろうかと想像してみると・・・大体こんなケースが想像できた。

(1)機械の故障により、非常に不便な代替手段によって業務が続行されている。乃至は業務がストップしてしまった。この不便な場面をあとどれくらい続ければ良いかの見当をつけたくて修理屋の到着時間を確認したい。

(2)故障の現場は、修理の依頼時点では何らかの理由(定休日、閉館日、など)により、立ち入ることができないので修理屋と現場で待ち合わせをし、セキュリティの解除などによってお仕事に取りかかる必要がある。又は日中、用足しがあるので不在中に訪問されても対応できない。など、何らかの理由で修理屋がその場所に立ち入れない状況である。

 とまあ、大体この二つだろう。他の場面はなかなか考えにくいのです。それで、修理依頼の「何時に来られるの?」でこういう状況であることなんていうのはまず、私の経験上ではせいぜい10%位しかないのだ!
 何より頭に来るのは、何時に訪問、と修理屋に言わせておいて、時間通りに到着すると修理できる状態に全然なっていないこと。油の煮えたぎったフライヤー、チンチンに熱いオーブン、など。挙げ句の果てには「今は機材を使っている最中だからあと1時間待ってくれ」などとぬけぬけと言う奴もいる。

 おいおいおいおいっ!
いったいあんたらは何のために人に時間の約束を迫っているんだよ!
作業ができるようになるまで待っている時間に対する代価を支払う用意あんのか?
俺にはこの後もスケジュールが入ってるんだぞっ!
と、はらわたが煮えくりかえる時間です。

 考えてみると、世の中は実に多くのことが分刻みで予測できるようになってきた。多少乱暴に言えば、職人的仕事はどんどん減って、機械化された定型業務に置き換わってきた。どんな仕事の所要時間はどれくらいなのかが計数管理可能な世界、機械文明の発達とはそういうことを指してもいるのだろう。自動車や電気製品の組み立て、宅配のピザ、写真のプリント、べーカーショップの焼き上がり時刻など色々。
依頼する側は別段、一分一秒を争うような状況でもないのにわざわざ「何時何分頃お伺いいたします」「何時何分頃出来上がります」と告げるサービスが、気付いてみるとすごく増えた。(ま、それはそれで律儀というか、立派な仕組みだとは思うけど)
しかしここで考えてみて頂きたいのだ。
現実問題として、時間単位での予測がどうしても必要な場面がいったいどれくらい身の回りにはあるだろうか?『今日中に何とかなればいいか』程度の出来事に対して『はっ。それでは●時●分頃対応させて頂きますっ!』的なサービスの仕組みって結構ありませんか?
世の人々はそういったサービスの仕組みに慣らされすぎて、何でもかんでも他人に時間の予測をしてもらわないと不安が残るのかもしれない。こんな愚痴めいたことをブログに書き綴っている私でさえ、無自覚のうちにこういった「大して意味のない精密さ」を疑いもせずに当然のこととして自分の生活意識に組み入れていないとも言えないのだ。

 ここで改めて、小生の職業、修理屋というものの性質をお伝えしておかなくてはならない。
 修理作業というお仕事は定型化の不可能な世界である。少なくとも、私が携わっている食品機械、厨房機器という分野での修理作業のうち、取りかかる前から時間の予測可能なものなど全体のうちの一割にも満たないだろうと考えている。時間の計数管理とは一番遠いところにある業種ではないかとさえ思う。だから、「何時に来られるの?」的な要請には一番答えにくい商売であり、この手の希望とはどうしても齟齬が生じてしまう。
 

 ならば、と、私は考えた。
こういった業務の上での内情をいちいち電話の度に依頼元に説明するのも非効率的だし、第一先方はこんな私の説明を最後までおとなしく聞いてくれるほど寛容でもない。
 であれば、この、時に不条理とさえ思える場面を作る仕組みを自分に有利な方向に作り替えていこう。行動あるのみ。

 というわけで、「何時に来られるの?」対策、次回は実行編です。(この項続く) 
 


何時に来られるの(1) [困った客]

 ここ2.3年の間、修理の依頼があって目立って増えてきた質問が「何時に来られるの?」というものだ。実はこれが結構返答に窮する。困るのです。
 実際のところ、「何時に来られるの?」と訪ねられて明確に「はい、何時にお伺いさせて頂きます」と回答可能なのはその日朝一番のお仕事だけである。私の場合、あとはほぼ必ずと言っていいくらい訪問時間が前後する。もっと正しくは、遅れる。
 それは一つには、私自身のスケジュール管理がなっていないからである。だがそれ以上に、修理屋という仕事は時間の見通しが立たないのだ。
 厨房屋に限らず、およそ世の中の修理屋の宿命の一つは、「結論を出してお客様に伝えない限り、訪問先からは自分の意志で勝手に帰れない」ことにあると思う。そしてこの商売は、結論が出るまでの所要時間は実に曖昧である。
 故障の状況、不具合がなかなか再現できない(これはプリント基板で制御を行うようになってからひどく多い)。
 ボルトが錆びていて回らない(まず、これだけで15分や20分はタイムロス)。
他にもいろいろ、実にいろいろなものが外乱要素となってスケジュールは遅れていく。
ならば、約束である時間が迫ってきたあたりを見計らって訪問予定先に連絡を入れて、訪問が約束よりも遅れる旨を伝えれば良いではないかというごもっともなご意見はある。確かにある、それは認めます(汗)。
 しかし、4件も5件も未処理の修理依頼を抱え込んでいたとして、また、それらのいずれもが訪問時刻の約束をしていたとして、それら全てに連絡を取るなどという行為が生産的であるとは思えないのですよ。そうやって電話をする時間それ自体が当該修理の現場作業にあっては馬鹿にならないタイムロスではないだろうか?
 更に言えば、(ここから先は修理屋としての生理の問題を暴き出すのだ)機械の中に体をつっこんでドタバタしているときの修理屋は、少なくとも私個人は、結構神経がとんがっていて殺気立っていたりもするものなんですな。そのお仕事をさっさと終わらせたい、意識が集中している状態をとぎれさせたくない、一気に片づけてしまいたい。そんな心理状態にあるものであります。『コノヤロー!このビス回れ!こん畜生!』であって、『あー今は何時だったっけ、そうそう、そろそろあそこの修理先との約束の時間が迫ってきたわい。お電話お電話・・・』などという気配りモードでは全くいられない。
 かくして、一件片づけて次の修理現場に到着すると眉毛を吊り上げたお客さんに「遅いですよ!」とどやしつけられるところから始まったりするのですねえ、悲しいことに。

 以前はこうではなかったのだ。「何時に来られるの?」ではなかった。
それは例えば、飲食店を例に取ればこうだ。
 「ランチの時間帯は外してね。(大体11:00から14:00頃を指している)あーそれから、今日は夜、予約の宴会が混んでいるから17:00以降は作業だめだよ」
この違いがおわかりだろうか?
 訪問されては仕事の邪魔である時間帯を以前はわざわざあらかじめ教えてもらえたのだ。その時間以外はこちらの任意で(ということはこちらの都合で)お仕事は開始できたのだ。今にして思えば、全く持って有り難かったです。(この項続く)


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