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揺れる心 [同級生の再起にまつわる話]

 6日木曜日の事,それは奇妙な一日だった。

 朝,請求書の作成等々月初のデスクワークをしていると同級生から電話があり,時間が空いたのでこれから立ち寄るとのことだった。

 この記事の前半に出てくる人物である。
記事名:会計のときに現れる人間性について
URL:http://tuttle.blog.so-net.ne.jp/2012-11-10

 売り掛け塩漬け中の問題の男と俺,そしてここでのお仕事仲間でもある同級生は中学校のある時期同じクラスだった。
 俺と踏み倒し野郎との経緯についてこの男は苦々しい気分を持っておるようだ。
法的手段,強制執行という俺のプランがじれったいらしい。
「あんなカス相手にお金をかけてそんなお行儀の良いことやらなくったっていいんだよ!」 その男の言葉は荒かった。
「閉店間際の店に乗り込んでいってレジから売り上げをもぎ取ってくりゃあいいんだ!満額になるまで何回でも,な」目つきが鋭くなった。
「まどろっこしい事やってねえで行け!店に行け!俺がやってくるか?報酬なんかいらねえからよ」
実はその男には結構荒っぽい過去があり,切り取りの心得があるようなのだ。
「強制執行なんかやったってどうせあいつ,ロクなもの持ってないだろう。預託金の無駄だそんなもん,金をもぎ取らんと。俺に任せとけ。バッチリ切り取ってやるからよ。店を移転してその工事代はあるんだろ?店の売り上げは毎日発生するんだろ?あいつはどっかに金を隠しているんだ。俺にはわかる」

 俺は丁重にそれを断った。好意は有り難いが好ましくない。この確執は俺個人の問題であって、当事者ではない他人の,ましてや共通の知人である同級生の力を借りて解決するようなやり方を俺は好まない。
 「まあ,最後はおまえ(俺)の判断だけどな。俺は効果がないと思うぞ,強制執行なんていうのはな」これがこの件に関する区切りだ。

 そしてその日の夜,仕事に一区切りつけた俺は同じく中学校の同級生である某のところへと赴いた。
彼は自動車の整備と販売を生業としており,俺は予定している強制執行の際に差し押さえる動産(自動車)の事で彼に相談したい事があった。
 踏み倒し男の自家用車は10万km以上も走った軽自動車で,値段などつけようもないほどのガラクタなので全くの徒労でしかなく,商売上の旨味はないらしい事を彼は表情を曇らせる事で俺に伝えた。

 それから彼は,この出来事の経緯を根掘り葉掘り俺に尋ね始めた。
俺の焦げ付いた売り掛けは約20万円,もしも俺が喫緊の物入りがあって20万円貸してくれと頼めば或いはそれに応じてくれるかもしれない,そういう人物だ。
 
 彼の発した意見は,朝に会った同級生とは真逆のものだった。
売り掛けは水に流して今後一切の関係を断つ,それが最善ではないかと彼はいう。金持ち喧嘩せずという事か。しかし俺は金持ちではなく、だからといって20万の焦げ付きで生活できなくなるわけでもない。俺は揺らぎ始めた。
 工事の代価を徴収する事で問題の男は俺と対等であるという意識を持つ。一切の受け取りを拒否する事で俺はこれから先の時間の中でその男に対する精神的優位性を持つ事が出来る事を彼は強調した。そういう類いの高潔さは第三者にも伝わるものであると彼は言う。
 話の中で彼は問題の人物を擁護する意図はなく,これから先の俺の精神衛生上の問題である事を随分強調し、俺の予定している強制執行には意味がないと繰り返した。
 何故無意味かというと,問題の男は税金の滞納や店の常連客からの寸借などなどこれまで金銭面での問題が積み重なっており,多少の処罰めいた措置を受けたところでカエルの面に小便に過ぎないからというのがその理由だ。

 それは朝に会った同級生の意見以上に面食らうものだった。
 朝と夜,それぞれ会った二人の同級生は全く真逆の対応を主張する。
二人に共通するのは強制執行には意味がないという点で,方や実利面での保全を,もう片方は精神衛生上の問題を強調する。
 どちらが良いとか悪いとかの判断が俺には出来ないが,心が揺れ始めて迷いが生じているのは事実だ。
俺のクライアントの問いかけが再び燻り始める。俺は何を求めているのか。実利と精神的な勝利感の両方を得る事は出来ずにうまくいっても片方だけしか得られないのだとすればどうすべきなのか。

 夜に会った同級生は別れ際に『揺らいでいていいのではないのか,迷う事がまだ良心が保たれている事の証拠なのだから』と言った。
 帰宅する途中,俺は夜に会った同級生が少年期に於いて強制執行の現場を目の当たりにした経験がある事に思いあたった。彼の意見がその経験にどのくらいの影響を受けてのものだったのかを想像すると俺の思考は更に乱れた。
 別れ際の一言がかろうじて俺の常識を支えている。しかしそれは大変狭い足場であり,いつまでもいていい場所でもない。試されているのは不義理を働いてのうのうと新規開店にこぎ着けた債務者だけではなく,俺もまた然りなのだ。

 帰宅すると郵便受けには裁判所からの送達通知が入っていた。俺は仮執行宣言を受けるべく,来週裁判所に出向く。
 進むべきか,踏みとどまるべきか。

 悩みは続く。
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コメント 4

007

強制執行には思い切りと冷静な計画が要りますね、、、
あと・上等だ、やったろうじゃねえか!・という闘争心、この三つがないと成功しません。

古い話ですが、前職を追われた時、朝礼中の経営者の最後の締め台詞直前に侵入して・退職の挨拶・をした時期はこの三要素が満ちていました(内容は「・・・・・特に上司の方々に於かれましては、普段曲がらぬ処を曲げに曲げて頂き、謝意を申し上げます・・・・」)と不愉快な仕草と表情を織り交ぜた歌舞伎的表現で、技術者の誇りを発揮してやりました。
by 007 (2012-12-09 14:04) 

HarryTuttle

007様,いつもコメントありがとうございます。
 強制執行がどのくらいの効果なりを持つのかについて今の私には疑問があります。
 しかし何もせずにいる事でおさまりのつく話でもないわけで,一度は顔を会わせて何事かをしなければ気が済まない。私もそれほど鷹揚な人格者ではないわけです。

 前職での一件は大変参考になりました。在籍中に一矢報いて溜飲を下げる機会は宮仕えだとまずありませんから私のような者にとっては羨ましいお話です。私は転職歴の多い人間ですが一度くらいは007様のようなエンディングを決めてみたかったです。
by HarryTuttle (2012-12-10 01:50) 

007

実は、前職での一件は、、、二件であります、、、

その前に、退職願いを朝礼中に・緊急動議・を宣言して、皆の前で経営者に渡してやりました、、、
リハーサルは自宅で、まるで役者の気持ちに成り切り、、、廊下の隅に潜み出番を待つのは、舞台袖の歌舞伎役者の如く、、、

非常にエキサイトし、気分が高揚し、楽しい時間を過ごし、面白い経験が出来ました、、、経営者の慌てた馬鹿面をじっくり観てやりました、、、社員もポカンとしてましたが(^.^)、、、

割増の退職金を渋る汚いやり方の経営者には、今でも思い出すとムカツキます!!!
最近自宅近くに葬祭場を造ったので、、、別に何もしませんが、知人に聴かれたら、「あそこは止めとけ!」くらいは言いますね!
by 007 (2012-12-10 03:49) 

HarryTuttle

007様,いつもコメントありがとうございます。
 ほぼ全ての月給取りが一度くらいは自宅でリハーサルをやるでしょうがそれがガス抜きになって結局実行に移される事はなく,結局は退社するにしても大人しく下を向いたまま(私がそうです)が圧倒的大多数である中でこれを決行できた007様の勇気に感服しています。

 寄らば大樹の蔓延する今の時代,会社員はますます卑屈になる事を余儀なくされているわけですが、最善の対抗措置とは自分を自立した職業人として確立するところにあると私は考えています。
by HarryTuttle (2012-12-12 20:21) 

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