閉店間近いラーメン店にて侘び寂びのひととき(続き) [日記、雑感]
前回のテキストはついつい長くなり過ぎたので二つに分けることにした。俺の文章はどうも無用に長くなり過ぎる嫌いがある。
http://tuttle.blog.so-net.ne.jp/2012-03-15 の続きです。
ベークライト基盤に実装されていたのは主にリレーソケットで,ICのようにデリケートな扱いを要求されるものはなかった。設計の古さがここでは幸いしたわけだ。
基盤のハンダ箇所全てにあげ直しを行うのは小一時間で終了した。
機体に組み込んで試運転を行うと俺の処置はうまくいっていて,ソケットに差し込んだリレーをつまんで揺すっても今度は誤動作が出ない。
試運転を四,五回行い,動作を確認した後に処置がうまくいった旨を俺は旦那さんに告げた。
「やった,やった!ああ助かった,有り難うございます!」店主は俺の腕を掴んで大喜びの様子だった。
機体自体は古いのでこれから先のことは読めないのだと俺は釘を刺した。旦那さんに対してというよりも,たまさか苦し紛れがうまくいっただけの話でお客さんと一緒になって舞い上がってはいけないと俺は自分自身に釘を刺したのだ。
そうとは言っても俺は生身の人間であって自分の所為で他人が喜ぶのを見て悪い気はしない。作業が終わってから旦那さんが灰皿とお茶を用意してくれたので少し休ませてもらうことにした。
修理代は幾らかと聞かれて8千円と答えると旦那さんは財布から一万円札を抜き出して俺に渡したが、おつりを渡そうとすると彼は頑として受け取ろうとしなかったので俺は困った。
お金を余計に頂いて何を困ることがあるか,というのは素人考えだ。
年がら年中,もたついたり失敗を繰り返したりしているのが俺の実相であって一つの粗相によって悪印象を与えることは一定割合で必ず起きる。
俺の経験則としてはその場面で,ここでの旦那さんのように基本的に善良で,感情的なもので言動が左右され易い方ほど反動として生まれるマイナスイメージも大きいものだ。それを避けたいとそのとき俺は思った。
「出来ればこの先,継続的にお取引をさせて頂ければ有り難いと俺は願っています。出費はそのとき必ず起きます。だから今,提示額以上のお金を受け取るのは良くないと思います」というようなことを確か話したと思う。
しかし旦那さんは余計な分は俺の気持ちだから受け取ってくれと言って断固引かない。押し問答を続けるのは不毛なのでその場では有り難く頂くことにした。
お金を余計に頂いてそのままでいるのはどうにもばつが悪い。
出来ることがあるとすれば,俺がお客さんとしてそのお店にお金を還元することだろう。
そんな風に思えたのでその後,俺は時たまそのラーメン店を訪れた。
少なくとも,そのとき余計に頂いたお金の分以上はお返しできたと思う。
そのラーメン店は夕方から深夜にかけて営業しており,昔ながらの古めかしい造りだったが馴染みのお客さんが多そうで売り上げは悪くなさそうに見えた。
開業以来40年,『継続は力なり』とはこういうことなのかと毎度俺はラーメンをすすりながら感じた。
ファーストコンタクトで修理代を二千円余計に頂いたこと以外には有り難いことに格別余録はない。その後,そのお店では一昨年,潰れたレイキ工業のコールドテーブルの修理が一回あった。これまた困ったシチュエーションだがまあ何とかできた。詳細は気が向けばそのうち書いてみるかもしれない。
「今年,店を畳むことにします。もう歳でね」
苦笑しながら旦那さんが話しかけて来た。時刻は午後の8時頃でお店が混み出すにはまだ時間があり,店内にいる客は俺一人だ。
「あんたには助けてもらった。あの時は助かった。メーカーに匙を投げられた時,俺はどうしようかと思ったんですよ」彼は四年前の出来事をついこの間のことのように話し出し,俺はラーメンを食いながら聞く。もっと早くあんたのことを知っていればなあ,店を畳むことを考え始めて,機材がどれもこれもガタガタになってからだったものなあ。20年以上前,店の売り上げがあって設備投資やら改修工事をどんどんやっていた頃あんたを知っていればなあ,と,旦那さんは仰った。
旦那さんの話を聞きながら色々と思い返してみるに,俺は自分の仕事が絶えず何かの終わりを見届けることなのだとあらためて考えた。閉鎖する施設,老朽化した建物や機材,キャリアを終えて隠居生活に入る人,ほんとに数限りなく見続けて来たし今もそうだ。
幾ら躍起になって抗ったところであらゆる物事は必ず終わる。終わり方が良いか悪いか,早いか遅いかの違いだけだ。
俺は単なる修理屋なり工事屋であって神様ではないから終わりを無効化することは出来ない。出来ることというのは終わりをほんの少しだけ先延ばしすることでしかない。あとは円満な終わり方である方向にナビゲートしていくくらいだろう。
「たまたまボロが出ないで済んだというだけの話です。仮に20年以上前に旦那さんが俺のことを知っていたとすれば恐らく,その後の時間の中のどこかで俺は旦那さんを怒らせたり失望させたりしたはずです」と俺は答え,会計を済ませて店を出た。
深い関わりではなかったが,悪い記憶を与えずに済む終わり方というのは何と言うか,ハートが暖まるものだと帰る道すがら俺は考えた。
少しばかり不思議なご縁でもある。
俺はその店の屋号は覚えているが旦那さんの名前も知らないままなのだ。
近い将来のある日あるとき、その界隈を歩いてみるとそのお店の看板は既にない。
旦那さんとその後どこかで遭うことはもうないだろう。
会計を済ませて店を出るときにお世話になりました,と,一言お礼を言っておいて良かった。
独りよがりみたいで気恥ずかしいが,こんなヤクザな商売にも美しい思い出の一つくらいは出来ないこともないってことだ。(この項終わり)
http://tuttle.blog.so-net.ne.jp/2012-03-15 の続きです。
ベークライト基盤に実装されていたのは主にリレーソケットで,ICのようにデリケートな扱いを要求されるものはなかった。設計の古さがここでは幸いしたわけだ。
基盤のハンダ箇所全てにあげ直しを行うのは小一時間で終了した。
機体に組み込んで試運転を行うと俺の処置はうまくいっていて,ソケットに差し込んだリレーをつまんで揺すっても今度は誤動作が出ない。
試運転を四,五回行い,動作を確認した後に処置がうまくいった旨を俺は旦那さんに告げた。
「やった,やった!ああ助かった,有り難うございます!」店主は俺の腕を掴んで大喜びの様子だった。
機体自体は古いのでこれから先のことは読めないのだと俺は釘を刺した。旦那さんに対してというよりも,たまさか苦し紛れがうまくいっただけの話でお客さんと一緒になって舞い上がってはいけないと俺は自分自身に釘を刺したのだ。
そうとは言っても俺は生身の人間であって自分の所為で他人が喜ぶのを見て悪い気はしない。作業が終わってから旦那さんが灰皿とお茶を用意してくれたので少し休ませてもらうことにした。
修理代は幾らかと聞かれて8千円と答えると旦那さんは財布から一万円札を抜き出して俺に渡したが、おつりを渡そうとすると彼は頑として受け取ろうとしなかったので俺は困った。
お金を余計に頂いて何を困ることがあるか,というのは素人考えだ。
年がら年中,もたついたり失敗を繰り返したりしているのが俺の実相であって一つの粗相によって悪印象を与えることは一定割合で必ず起きる。
俺の経験則としてはその場面で,ここでの旦那さんのように基本的に善良で,感情的なもので言動が左右され易い方ほど反動として生まれるマイナスイメージも大きいものだ。それを避けたいとそのとき俺は思った。
「出来ればこの先,継続的にお取引をさせて頂ければ有り難いと俺は願っています。出費はそのとき必ず起きます。だから今,提示額以上のお金を受け取るのは良くないと思います」というようなことを確か話したと思う。
しかし旦那さんは余計な分は俺の気持ちだから受け取ってくれと言って断固引かない。押し問答を続けるのは不毛なのでその場では有り難く頂くことにした。
お金を余計に頂いてそのままでいるのはどうにもばつが悪い。
出来ることがあるとすれば,俺がお客さんとしてそのお店にお金を還元することだろう。
そんな風に思えたのでその後,俺は時たまそのラーメン店を訪れた。
少なくとも,そのとき余計に頂いたお金の分以上はお返しできたと思う。
そのラーメン店は夕方から深夜にかけて営業しており,昔ながらの古めかしい造りだったが馴染みのお客さんが多そうで売り上げは悪くなさそうに見えた。
開業以来40年,『継続は力なり』とはこういうことなのかと毎度俺はラーメンをすすりながら感じた。
ファーストコンタクトで修理代を二千円余計に頂いたこと以外には有り難いことに格別余録はない。その後,そのお店では一昨年,潰れたレイキ工業のコールドテーブルの修理が一回あった。これまた困ったシチュエーションだがまあ何とかできた。詳細は気が向けばそのうち書いてみるかもしれない。
「今年,店を畳むことにします。もう歳でね」
苦笑しながら旦那さんが話しかけて来た。時刻は午後の8時頃でお店が混み出すにはまだ時間があり,店内にいる客は俺一人だ。
「あんたには助けてもらった。あの時は助かった。メーカーに匙を投げられた時,俺はどうしようかと思ったんですよ」彼は四年前の出来事をついこの間のことのように話し出し,俺はラーメンを食いながら聞く。もっと早くあんたのことを知っていればなあ,店を畳むことを考え始めて,機材がどれもこれもガタガタになってからだったものなあ。20年以上前,店の売り上げがあって設備投資やら改修工事をどんどんやっていた頃あんたを知っていればなあ,と,旦那さんは仰った。
旦那さんの話を聞きながら色々と思い返してみるに,俺は自分の仕事が絶えず何かの終わりを見届けることなのだとあらためて考えた。閉鎖する施設,老朽化した建物や機材,キャリアを終えて隠居生活に入る人,ほんとに数限りなく見続けて来たし今もそうだ。
幾ら躍起になって抗ったところであらゆる物事は必ず終わる。終わり方が良いか悪いか,早いか遅いかの違いだけだ。
俺は単なる修理屋なり工事屋であって神様ではないから終わりを無効化することは出来ない。出来ることというのは終わりをほんの少しだけ先延ばしすることでしかない。あとは円満な終わり方である方向にナビゲートしていくくらいだろう。
「たまたまボロが出ないで済んだというだけの話です。仮に20年以上前に旦那さんが俺のことを知っていたとすれば恐らく,その後の時間の中のどこかで俺は旦那さんを怒らせたり失望させたりしたはずです」と俺は答え,会計を済ませて店を出た。
深い関わりではなかったが,悪い記憶を与えずに済む終わり方というのは何と言うか,ハートが暖まるものだと帰る道すがら俺は考えた。
少しばかり不思議なご縁でもある。
俺はその店の屋号は覚えているが旦那さんの名前も知らないままなのだ。
近い将来のある日あるとき、その界隈を歩いてみるとそのお店の看板は既にない。
旦那さんとその後どこかで遭うことはもうないだろう。
会計を済ませて店を出るときにお世話になりました,と,一言お礼を言っておいて良かった。
独りよがりみたいで気恥ずかしいが,こんなヤクザな商売にも美しい思い出の一つくらいは出来ないこともないってことだ。(この項終わり)
毎回、楽しみに拝見させていただいております。今回の二部構成の物語も大変感慨深いものでした。早かれ遅かれ終わりが来る…それでも生きてる限りは出会いと別れを繰り返すのでしょう。切ないながらも今回のラーメン店主との関わりは貴重なのかと。貴方様の人柄も見受けられます(^-^)/ 追伸…私が女性かは不明ですが(笑)女性にも興味深いブログであると思いますよ(^-^ゞ♪♪♪
by くるみ (2012-03-21 01:01)
くるみ様,返答が遅れました。お許しください。
私の人柄,ですか。文章はそれを幾分反映しているのでしょうが私などはどこにでもいるような,もとい,殆ど社会の落伍者寸前の甲斐性なしでございますよ。
もうあと50年位すれば地球上の誰の記憶にも残っていない、しがない修理屋の記録ですが今後もよろしくお願いいたします。
by HarryTuttle (2012-03-28 00:37)