SSブログ

達人の記憶を辿る [含蓄まがいの無用な知識]

 20数年前の事を書く。当時の俺は30歳そこそこで自分で言うのもなんだが今よりは結構馬力があったし無理押しも効いた。

 当時の俺の勤務先の所長が食器洗浄機の商談を決めた。収容数300名くらいの旅館にHOBART FTXを納める、そういう内容だ。
 ネックになるのは設置場所が地下になるという事で,分割搬入してから組立作業が発生する。
FTX.jpg

 俺の勤務先では初めての作業なので本社からは一人,協力会社の人間を手配してもらう事になった。元は輸入元でサービス業務の頭を務めていた人物との事だった。現地の社員である俺と2名作業で組み立てるという算段である。
 俺は結構気合いを入れて当日の現場に臨んだ。数日前から退勤後にはマニュアルのコピーを家で穴の開くほど睨みつけて組み付け構造を全部頭の中に叩き込むくらい気合いが入っていたのだ。田舎者でも勉強はしているのだぞ,というところをアピールしたいという気負いがあったのという事なのだろう。ま,若かりし頃だった,と。

 当日,俺はありったけの商売道具を車に押し込んで現場に入った。機体の形式は1-A-1という最小のもので3分割された1タンクだ。
 搬入業者に混じって機体を地下まで運び終えたあたりでいつ現れたのか現場スタッフの中に見慣れないじいちゃんが混じっているのを俺は訝しく思い、その人物が組み立て作業の頭である事を知って怪訝さは驚きに変わり,次に不安が湧いてきた。
 その爺ちゃんは何とも見栄えのしない風体で,しかもしかめっ面をして肘の辺りを擦っている。聞けばリウマチだったか神経痛だったかの持病があるという。
 加えて爺ちゃんは殆ど丸腰で,バスタオルにくるんだ何かを小脇に抱えているだけである。納入先の宿屋に宿泊する予定だったので中身はどうせ着替えだとか洗面道具なんだろうと俺は想像して腹が立ってきた。一体こいつはやる気があんのか!
 
 機体の仮連結を終えたところで搬入業者は引き上げ,現場には俺とさえない爺ちゃんの二人が残った。何か物凄く屈強そうな人物が現れるはずだと事前に思い込んでいた俺は爺ちゃんの風貌や脱力気味の挙動に不安を募らせ,これは俺が死にものぐるいで働かなければならんと自分に言い聞かせた。

 「さあて,それじゃあぼつぼつ始めるかい」爺ちゃんは小脇に抱えたバスタオルを拡げて洗面道具入れみたいな薄汚いポーチを取出し、それが組み立て工事に使う道具であるらしい事は分かった。
 しかしその中身を見て俺は仰天した。内訳は今でもはっきり覚えている。

1:10mmのボックスドライバー 2:10mmのコンビネーションレンチ 3:1/4のソケットレンチと10mmのソケット 4:PH2のドライバー(普通の+ドライバー) 5;サイズ不明の精密ドライバー一本 6:スリップジョイントプライヤー 7:250mmのモンキーレンチ

 たったこれだけだ。全長4mで3分割されたコンベアータイプの食器洗浄機をこれっぽっちの道具で組み立てられるわけなんかねえだろうが、何を考えているんだこいつは!と俺はまた腹を立てた。この爺ちゃんには結構なギャランティが発生しているのだ。

 しかしだ、いざ二人で組み立てに取りかかると俺は別の意味で仰天する事になった。
爺ちゃんの作業スピードは圧倒的に速かったのだ。FTXは連結箇所の殆どがM6のボルトとナットで構成されていてその数は膨大なものなのだが俺が一カ所やるうちに爺ちゃんは二カ所以上を軽々と片付けていく。『おまえの手が遅いんじゃないのか』という諸兄のご指摘はある程度正しいが、それを差し引いても爺ちゃんの手の早さは尋常ではなかったのだ。
 手を動かすのを忘れてその挙動を凝視する俺の事など一向に意に介する様子もなく爺ちゃんは黙々と組立を進めたのだが、眺めているうちに俺はある事に気づいた。
 
 爺ちゃんの作業はさっぱり早く見えないし,一生懸命やっているようにも見えない。であるにも拘らず工事の進み具合は当時の俺の日頃から考えてやっぱり断然早いのだ。それは例えていうと,一流の運動選手のフォームに通じている。理屈に叶った挙動しかしない,余計な挙動がない,次に何をやるかが数手先まで読めている。だから爺ちゃんの工事作業にはそもそもハプニングが発生しないし傍目から見ていて全然スリリングでない。とどのつまり彼は正真正銘の達人で、俺はと言えば田舎でお山の大将を気取っていただけの,馬力だけが取り柄のウスノロである事をこのとき思い知らされたのだった。

 加えて爺ちゃんは先に書いたように貧相な装備であるにも拘らず,格段俺にあの道具を貸してくれなどという事もなくスイスイと工事を進めていく。俺が自分の道具箱から何か取出して『これ使いませんか?』と差し出しても「いいよいいよ大丈夫」といった調子だ。
 彼の持ち物でこなせなかった箇所と言えば,排水配管の接続径が日本の規格と異なるものだったので配管部材のVPをトーチで暖めてオーバーサイズさせておいてくれというただ一カ所でしかなかった。
 
 結局その時の俺は殆どテコみたいな働きしかしておらず,昼すぎから始めた組立作業は夕飯頃には終わっていてあとは電気や配管の接続作業を残すのみとなった。
 爺ちゃんは大岡越前の放送に間に合わせなきゃな,と手仕舞いにかかり、翌日の試運転調整を残している俺は同じ宿屋に泊まる事になった。
 部屋で爺ちゃんと一杯やりながら俺は彼が元々は旋盤やフライス盤といった工作機械の整備を生業にしていた事を知り、合点がいった。ああいった機器から見れば食品機械なんぞ確かにちょろいもんだ。そのようにしておれはこの爺ちゃんに畏敬の念を抱くに至り、以来この時の爺ちゃんは今に至るまで俺の目標であり続けているのである。

 翌日,接続工事の監督をしながら俺と爺ちゃんは試運転が始まるまで雑談に興じた。そのとき俺は高額のためにと爺ちゃんの持ち物である工具を拝見させて頂いた。
 別段,特別なものを使っているわけじゃないけど,と言いながら彼が渡してくれた袋の中にあったドライバーは赤い半透明のグリップで,スイスどうとかと刻印された,田舎町の住人である俺にはそれまで見た事もないメーカーのものだった。
20110819160153_img1_79.jpg

 それがPBというメーカーの製品である事に俺が気づくのはそれから20年近く後になってからの話である。
前回のエントリーで俺はドライバーを入れ替えた話を書いたが、それはそろそろ俺もこの時の爺ちゃんにあやかって何かと思いついたからというのが購入の動機というわけだ。但し,俺の腕前は未だに爺ちゃんに追いついていない。遠く及ばないままだ。
nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 2

くるみ

その「爺ちゃん」は格好良いですね。例えは幼稚ですがドラゴンボールの亀仙人のような(笑)。以前のブログに有りました函館の料理人さんも思い出します。多分その方達は年齢も達人の域と思いますのでHarryTuttle様がその年齢に達した時には恐るべしな事になってるのでは?(^^ゞ
by くるみ (2011-09-25 23:20) 

HarryTuttle

くるみ様 いつもコメント有り難うございます。
私はドラゴンボールの事が分かりませんが例の爺ちゃんは掛け値なしにかっこ良かったです。

いずれ書き残しておこうと思いますが,大型の食器洗浄機についてはIHIの協力会社をしていた爺ちゃんが本件に負けず劣らず渋かったです。私については今でさえ毎度手探りでドタバタしているような有様ですからこういう境地には一生かかっても辿り着けそうにありません。
by HarryTuttle (2011-10-04 17:25) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。