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寿司を箸でつまむバカ(2) [グルメ気取りのバカを晒す]

前回のエントリー
http://blog.so-net.ne.jp/tuttle/2006-11-26 の続き

 何を今更と思われる方々は多いだろうが、もしかしたらこのブログを眺めているかもしれないにわか食通気取りのために改めてすし飯について少々書いておく。

 一般的に、にぎり寿司のご飯の部分は約25gの重量で、8個食べるとちょっと大きめのご飯茶碗に軽く一杯分くらいの分量である。
 このご飯の部分は職人たちの符丁としてシャリ玉と呼ばれることが多く、以下このように書く。
 シャリ玉は口の中に放り込んで噛むとご飯粒がすぐにばらけるような加減で握られている。このため、外周部分は締まってはいるが中心部はふっくらした状態をとどめるという相反する状態を一回の握りで作り出す極めて微妙な手さばきを駆使する。但し、お持ち帰りの折り詰め用とか、出前用には運搬途中の振動でばらけないようにやや堅めに握る。
 
 整理しよう。寿司職人が握りに技術を身につけるための修練は
(1)飯台(酢飯の入った桶)から想定した重量のシャリを掴み取る感覚を固定化させる。
(2)上記の微妙な握り加減のコントロールを体得する。
ことにかなりのエネルギーを費やす。

 もう一つ、食材としての米を考えると、にぎり寿司に使う米には多少の古米を混ぜることが多い。全部新米を使って酢飯を炊くとにぎり寿司用としては粘りが大きくなりすぎて、食べるときに口の中でシャリ玉がうまくほぐれないからだ。

 つまり、職人さんの握る寿司というのは僅かな力加減で形が崩れるか崩れないか、ぎりぎりの状態を作り出した結果である。箸でつまんでも崩れないような握り加減ということは、食べたときに口の中でシャリ玉がばらりと崩れる状態に出来ないのである。

 考えてみて頂きたい、何かをつまみ上げるときに直接指でつまむか、箸でつまむかの一体どちらが微妙なコントロールが効くだろう?

 寿司を箸でつまむという仕草は、何かを手掴みで食べるのは下品だという思いこみから出てきているのだろうと私は考えているのだが、それならそういうバカどもはおにぎりを箸でつまむのだろうか?

 カテゴライズでいうならば、和食にあって品格のある箸使いを求められるのは懐石料理であり、精進料理である。寿司はあくまで「庶民の贅沢」であり、歴史的出自から行けばおにぎりの発展したものである。

 にぎり寿司の原点は江戸前寿司にあり、更にそのもとにはおにぎりがある。江戸の街には火事が多く、火消しが済んだ後にはしばしば炊き出しが行われた。このとき、器や箸を使わなくても現場ですぐに食べられるようにとご飯を丸めたものの上に味噌や漬け物をのせたりしたのが始まりである。上にのせるものは総称して「たね」と呼ばれた。上にのせるよりも丸めたご飯の真ん中にある方が食べやすかったからで、ご飯玉の中心に漬け物や味噌がある状態は、例えば桃や柿の断面で中心部に種のある状態に似ていたのでそう呼ばれた。更に、炊き出して作ったこのご飯が運搬中に崩れないようにと海苔でくるむことを憶える。房総沖は海苔の産地であり調達は簡単で、このようにすると形は崩れず、運搬中に隣のご飯とくっつくこともなく便利で、このやり方は定着した。これがおにぎりである。
 その一方で東京湾は当時の一大漁場であり、魚介類は実に豊富であり多種多様な水揚げもあったので、これらを「たね」として使う工夫も凝らされた。こちらは従来通り、ご飯の上にたねを乗せる形で発展していく。
 その出自からいって、にぎり寿司ははじめ、行商の形で販売された。あらかじめ味付けされひと口大に切られ「たね」が桶の一方に入れられ、もう一つの桶にはたいたご飯が入れられる。この二つの桶を天秤棒にかけて担いだ行商人が歩き回り、どこかで店開きをしては集まってくる人たちを相手にご飯を握ったものの上に味付けされたたねを乗せて手渡しで売っていたのが江戸前寿司であり、にぎり寿司の原初の形である。

いわば、にぎり寿司にについての歴史概略だがここに箸も小皿の醤油も出てこない点は注目して良い。
 
 手掴みでものを食べるのは下品なので箸を使えばそれで自分はお上品な所作をこなしているのだと勘違いする大馬鹿者には全く持って苦笑を禁じ得ない。お上品な箸使いをひけらかしたいんであれば懐石料理を食べに行きたまえ。(続く)


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